ベビーフェイスと甘い嘘
「…………りがと」
ふっ、と身体から力が抜けて、アカネさんは安心したようにふわりと微笑んだ。
それを見た瞬間、心臓がドクンと大きく音を立てて跳ねた気がした。
その涙も笑顔も俺に向けられたものじゃない。そうじゃないって分かってはいたけど、鼓動は暫く収まらなかった。
……何だろう、この気持ちは。
心が満たされて温かくなるこの感じ。
衝動的に声をかけたのに、こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。
彼女を起こさないようにそっと抱き締めたまま、自分が眠りに落ちる瞬間までずっとアカネさんの寝顔を眺めていた。
***
この時微かに心に生まれた温かな気持ち。
それの正体に気がついたのは、7月のある日だった。
その日、俺は師匠に呼び出されていた。
「私の養子にならないか」
師匠の教え子達や仲間と一緒に居酒屋で愉しく飲んだ後で、最後に二人きりになった時に、こう切り出された。
祖母が病気になった時も、亡くなった時も、力になってくれたし、俺の家の事情も全て知っている。申し出はありがたかったけど……すぐには頷けなかった。
ピアニストとしての自分に自信が持てなくなっていた事と、家族を捨てきれない自分に気がついてしまったから。