やさしい恋のはじめかた
 
いくら彼氏だといっても、合意がないままに乱暴にキスをされると、少しだけ強姦されている気分になってしまう私は変なのだろうか。


「戻ったらアイツに言ってくれよ、急ぎすぎないでもっとキャスティングの幅を広げてみろって。俺から言ったんじゃ、たぶん聞く耳を持ってくれない。アイツの名前を売る絶好のチャンスなんだ、石橋を叩きまくってもいいくらいなのに、何をそんなに焦っているんだか……」

「うん、一応、分かったって言っとく。私もずいぶんチームリーダーから外れてるから、聞き入れてもらえるかどうか、自信はないけど」

「ん」


私の顔を両手で挟み込み、額をコツンと当ててくる大海は、もうさっきまでの大海じゃない。

今度は優しく、味わうように舌を絡ませると、大海は先に保管庫をあとにしていった。


大海にはイマイチ分からなくても、私には稲塚くんが焦っている理由がなんとなく分かる。

稲塚くんと同じ歳に大海が携帯電話会社から依頼を受けたCM企画を大成功させ、業界に“幻泉堂の河野大海”の名前を轟かせたからだ。


けれど私は、大海が26歳になる年に成し遂げたこの偉業を実際には見ていない。

大学3年、就職活動をはじめなければいけない時期に差し掛かった頃、世間を賑わせていたCMがこれで、一瞬にして心を奪われた私は、すぐに広告代理店や広告会社、広告の仕事を受注している制作会社などを片っ端から調べて“幻泉堂”を見つけ、エントリーシートを書いた。
 
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