GREEN DAYS~緑の日々~
 真夜中過ぎ、夏穂は病室のベッドで深い夢の中にいた。見知らぬ人間達の夏穂を噂する声。ホラ、アノコヨ、ハズカシクナイノカシラ、ヨクヘイキナカオデアルケルワネ、ホラ、アノコヨ、アノコヨ…。そう噂している人間達。その顔は漆黒の闇に包まれている。闇の中の漆黒。

 夏穂はそっと目を覚ました。真夏の夜の風が病室の中に吹き込んで来る。額からの大量の汗。横に洸がいた。

「水入れ、…何してんの」

洸は苦笑した。夏穂は時計を探した。だが目が霞んで何も見えない。

「頭、ぼーっとする」

「事故に遭ったんだから」

夏穂は洸の上着に気がついた。

「どっか行くの」

洸は何も答えない。

「傷が治ったら学校に行け」

「え…、」

「何もかも大丈夫になってるから」

永遠より長い沈黙。寝不足の蝉の声。夏穂は洸と見詰め合った。細目の瞳に高い鼻、薄い唇。夏穂は震える手でその唇をそっとなぞった。左手の人差し指。洸はピクリとも動かず、そのままの姿勢でいた。

 夏穂は思っていた。今まで、男に対してこんな事はした事がない。こんな事を誰かにするなんて。そしてその相手が洸だったなんて。なぜだろう。なぜだろう。会って間もない洸。なのにずっと以前から洸の事を知っていた様な。誰よりも深く洸の事を知っていた様な。洸の香り。少し長い髪の香り。

「寝てるお前を見てて、色んな事思い出してた。祭りの夜、笑っている人間達の間で一人泣いていたお前。そう、お前はずっと一人で泣いていたんだろう。今までずっと、一人でないていたんだろう。夜、すんなり眠れる事などなかったんだろう。ずっとずっと。だけど、俺もお前ももう一人じゃない。一人じゃないんだ」

洸は自分の頬に置かれている夏穂の手を握り締めた。夏穂は慌てて手を引っ込めた。

「あたし…、あたしの名前知ってる?、知ってるよね」

洸は頷いた。

「あたし、あんたの名前知らない」

「…洸」

「コウ?」

「洸」

その途端、洸の姿が霞み始めた。夏穂は何度も目を擦った。

「ねえ、どこに行くの」

洸は答えない。

「ねえ、ねえ…」

 夏穂が再び眠った後、洸は夏穂を改めて見つめていた。もし、もし自分が今、夏穂と同じスタンスにいたのなら、きっとずっと夏穂の側にいただろう。どんな時も。夏穂が嫌がる程、だけどそれも叶わない今、自分は夏穂の事をただただ見守る事しか出来ない。それだけしか出来ない。不甲斐なさ。この不甲斐なさは永久に続いて行く。このまま夏穂が歳を取っても。

 洸は夏穂の頭をそっと撫でた。

「知ってるよ、お前の名前。夏穂。夏に揺れる穂…」



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