GREEN DAYS~緑の日々~
 国人が折り返しを決めた後、夏穂は完全に動きを止めた。見間違いではない。校庭の木の下に洸がいる。白いシャツを着て一心に夏穂を見つめている。夏穂は声にならない叫びを上げた。だが誰も洸に気が付かない。夏穂は立ち上がった。



「優勝は田所国人君です。三年男子の優勝は田所…」

洸の元に駆け付ける夏穂の後ろでは、国人の優勝を告げる声が辺りに響いていた。夏穂はようやく洸の元にたどり着いた。洸は大きな銀杏の木の幹の分かれ目の所に腰掛けている。夏穂は息を整えた、すぐには言葉が出て来ない。夏穂は思っていた。自分はずっと洸に会いたかったのだ。そう、洸に会いたかった。心から会いたかったのだ。瑞恵から繋がりを聞いた今でも。

「どこ、行ってたの」

洸は少し微笑んでから答えた。

「お前の知らない所」

後ろから優美の呼び声が聞こえる。夏穂は一度振り向いて頷いた。

「仲直りしたのか」

「あの時、」

「ん?」

「夜、病院に来てくれた時、水入れ言ったよね。何もかも大丈夫になるからって」

洸は頷いた。

「ねえ、最初会った時、河原で寝てて…。あたしの学校に来たり、家とかすぐわかったり、色々あったのは最初から知ってて」

「なあ、お前に会ったのはこの夏が最初じゃないんだ」

「え?」

「夏の穂」

「夏の穂?」

「親父が付けたお前の名前。お前の姉さんもお前も、綺麗な名前だな。お前、自分の名前の由来、知ってるか?」

夏穂は首を横に振った。

「お前が生まれたって聞いて、親父が病院に駆け付ける時、道の脇で夏の穂が揺れてたって。綺麗な緑色の夏の穂が」

洸は軽く目を閉じた。

「それから俺はお前に会いに行った。お前は姉さんと庭にいた。まだ小さくて水着姿のまま姉さんにまとわりついていた。突然降って来た雨に喜びながら。大人になると、雨なんてうっとうしいだけだ。だけどお前は、きゃあきゃあ言いながら、雨の中、笑顔を見せて…。そんな笑顔を、お前達の家族を、俺が目茶目茶にした」

「違うよ」

「そうだ」

「違うよ!」

「なぜ言い切れる!」

洸も声を張り上げた。

「なぜ言い切れる、なぜだ」

二人は見詰め合った。

「あたし、ずっと親父が嫌いだった。ウザくて、ウザくて…。確かに最初、詳しい話を聞いた時は、あんたの事もウザいって思ってた。まだ会った事の無いあんたの事を恨んだりして」

夏穂は力任せに涙を拭いた。

「だけどあんた助けてくれたじゃん。何か一杯、助けてくれたじゃん。励ましてくれたじゃん。優美と仲直りさせてくれたじゃん。何かあったらまた息継ぎして頑張ればいいって言ってくれたじゃん。だったらそれでいいじゃん!」

 洸はその言葉を一心に受け止めていた。夏穂の怒鳴り声も、不思議と今は何もかもが心地良く感じられる。夏穂は肩で息をついた。涙が滝の様に溢れ出て来る。

「いつもいつも、あたしの事、助けてくれて…。絵の具も、絵の具も、いつも、いつもあんたあたしの事」

「俺が自分の事を後悔したのはお前と行ったあの祭りの晩だった。あの時俺は何もかもを捨てた事を本当に後悔した。家族の温もり、優しさ、何もかも。油絵、やれよ。何でも好きな方を選んでやればいい。お前がくれたポスター。初めてあの絵を見たのは子供の頃だった。親父が好きで、家の書斎の小さな額に飾ってあった。お前があの絵を好きで嬉しいよ。この事、親父が聞いたら何て言うだろうな。お前は気が付いてないかも知れないけど、俺とお前とお前の姉さんと、似てるかも知れないな。笑った顔とか、怒った顔とか」

「え、」

「俺達、きょうだいだもんな。今度会う時もきょうだいがいいな。生まれ変わってもお前とはきょうだいがいいな。恋人じゃなく。恋人はいつか別れてしまうけど、きょうだいならずっと側にいられる」

「あたしは…」

夏穂は何も言えなかった。綺麗な洸の瞳から涙が零れ落ちていたから。

「どんな時でもさよならを言うのはつらいな。本当に。俺の事、好きになってくれてありがとう」

洸はそう言い残して車に乗り込んだ。動けない夏穂。洸はそのまま去って行った。夏穂は力の限り叫んだ。

「何なんだよ、ふざけんじゃねーよ!、まだ話終わってないじゃんか、何なんだよ、ふざけんじゃねーよ!」

国人がズボンだけの格好で慌てて夏穂の元に駆け寄った。

「夏穂!」

「ふざけんじゃねーよ!、戻って来いよ水入れ、戻って来いよ!」

優美も息咳切って追いかけて来た。

「夏穂」

 夏穂はその場に泣いて崩れ落ちた。国人と優美は顔を見合わせた。夏穂は、今までどんな時でも決して取り乱したりする事は無かった。それは今までの夏穂の家の家庭内の不和が、夏穂を冷静にさせる癖を付けていたのだろう。冷めた人間にさせていたのだろう。だが今日のこの夏穂。両手で顔を覆い、時折り髪を激しく掻き毟っては号泣している。鳴り止まない慟哭。三人は夏の終わりの日差しに打たれたままでいた。

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