GREEN DAYS~緑の日々~
翌日、夏穂は商店街を歩いていた。いつもながらの人の波。店屋の音。人々の笑い声。夏穂は文房具屋をちらりと覗いて見た。無愛想な女主人が欠伸をしている。夏穂は口を尖らせた。

 商店街を抜けると洸の家がある。国人が教えてくれた家。低い垣根から縁側を覗いて見る。今はもう主無き家。夏穂は首を竦めた。だが次の瞬間はっとした。わずかに見える隙間から、部屋の壁に貼られていたアルルカン。西日に焼けてるアルルカン。夏穂は愕然とした。



 昨日、帰宅した時、瑞恵から話を聞いた夏穂は全速力で輝明の後を追いかけた。追い付いた駅のホーム。列車の音。尋ねたい事はわかっていた。輝明に何を尋ねたいのか。何を答えさせたいのか。輝明はしばしの間の後、低い声を出した。

「今の家内とは、瑞恵が二つの時に別れたきりだった。それ以来、一度も会わなかった。家内は黙っていたんだ。お腹に洸がいた事を。そして君が生まれ、しばらくした後、彼女が私に会いに来て」

一度ためらう。

「私は彼女に情が移ってしまったんだ。ずっと何年も私の事を一人で思い、一人で子を産み、一人で寂しさを耐えていた。そんな彼女に私は、」

夏穂の瞳の無言の問いかけ。輝明は唇を噛み締めた。

「洸が戻らない今、私は彼女と生きて行くしかないんだ。済まない。これ以上は何も言えない」

 輝明は最後にもう一度「済まない」と繰り返し、列車に乗ろうとした。夏穂の胸に今し方輝明が呟いた、洸が戻らない今、という言葉が激しく突き刺さった。やはりこれは夢ではないのだ。だとしたら、もう二度と輝明には会えない。だとしたら、だとしたら。夏穂は輝明の後ろ姿に叫んだ。

「ねえ!」

輝明の背中がピクリと動く。

「本当なの?、あたしの名前、夏の、緑の夏の穂から取ったって、本当なの?、ねえ、ねえ、」

暫くして輝明は振り向き、そして頷きながら答えた。

「ああ。本当だとも」

輝明は列車に乗り込み去って行った、それから一度も振り返る事なく。夏穂は緑の風に吹かれていた。



 家へは河原を抜けて帰る。そこに洸が寝ていた。蘇る幻。―今から考えてみると、洸は自分がいつもこのコースを辿って帰る事を知っていたのだ。そうしてそこで眠って…。最初から何もかも洸は知っていたのだ。夏穂の悲しみも喜びも何もかも。夏穂の近くの緑の穂が揺れた。
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