瑠璃子
万年筆の神様
それは上岡健太郎が大学生時代に遡る。
無精ひげが伸び尾羽打ち枯らしたような上岡は力なく公園を歩いていた。
適当なベンチを見つけると溜息と共に座り悩み込む。
上岡を悩ますもの、それは既に大学四年生になりながらも就職が決まらないことだった。
他の学生はみな内定が決まっていくにも関わらず、上岡はその内定すら決まらない。
多くの企業訪問をしてみたもののその悉くがノーの返事、企業社会のシビアさ肌身で感じていた上岡は、
なんとかならないものかと思いあぐねる。
気分転換にタバコでも吸おうと一服すると空を見上げる。
晴れ渡る青い空そして周囲の緑、とても綺麗だ、そして花園に咲く花も・・・。
だが、その景色とは裏腹に心は曇っている。
タバコの煙と一緒に溜息を吐く上岡は、ふと、遠くから聞こえる子供の声を耳にする。
どうやら小学生らしく何人かの子供がはしゃぎながら公園を走っている。
何気なしに見ていると先頭を走る女の子を後から来る数人の男の子が追いかけている。
鬼ごっこでもしているのだろうかと見ていると一人の男の子が女の子を突き飛ばすではないか。
そして女の子は前につんのめり転んでしまうと数名の男の子が女の子を取り囲むと、
男の子たちは女の子の髪の毛を引っ張ったり殴ったり蹴ったりしている。
何事かと思わず子供たちを凝視する上岡の耳に罵詈讒謗が聞こえてくる。

  おい、おまえ、生意気だぞ!

  そうだ、親ナシのくせに!

  そうだそうだ!

男の子たちは女の子を蹴ったり小突き回したりしている。

  へ、なんだ、こんな汚い服着やがって!

  そうだ、乞食と同じだ、ボロ着やがって!

  おい、こいつの服脱がしてションベンひっかけてやろうぜ!

男の子たちは泣きじゃくる女の子に寄って集って着ている服を剥ぎ取り無理やり裸にしてしまうと、
笑いながら一斉に小便を引っ掛け始める。

なんということを!
いくらなんでもやりすぎだ、酷過ぎる!

子供の残酷さに驚くと同時に怒りが込み上げる。
上岡は吸い掛けのタバコを放り投げると急いで駆け付け、
  
  おい! おまえら何やってんだ!

上岡は怒鳴りながら女の子を虐待する男の子達を蹴散らす。
  
  なんでこんな酷い事をするんだ!

怒鳴られ蹴散らされた男の子たちは無精ひげの上岡の怒る顔を見て驚く。
 
  な、なにすんだよ!

一人の男の子が口答えしてくる。
 
  何をするだと? 寄って集って女の子をイジメていながら何言ってるんだ!

するともう一人の男の子が、
  
  なんだよ、お兄さんに関係ないじゃないか!

  そうだそうだ!

抗議してくる男の子たちに上岡は罵声を浴びせる。
  
  バカ野郎! 関係あろうがなかろうが、
  こんな酷いことを黙って見ていられると思ってっんのか、このガキども!

上岡は思わず男の子たちの横っ面を平手で次々に引っ叩いていく。
  
  いてえ・・・、なにすんだよ。

引っ叩かれた男の子は半べそを掻き始める。
 
  痛いか! いいかお前ら! 
  この女の子はな、もっと痛い思いをしているんだ!
  それが判らねぇんだったら今度は張り倒すぞ!

怒り心頭に怒鳴り散らす上岡の恐ろしい髭面に怖れをなした男の子達は一目散に逃げていく。
脱兎のごとく逃げていく男の子たちを見る上岡は、

  ・・・ったく、なんてガキどもだ、酷いことしやがって。

吐き捨てるように呟く上岡は裸で蹲り泣いている女の子に目を留め、
  
  大丈夫か?

優しく言葉を掛けながら上岡は脱がされた服を拾い上げ、小便で濡れた体をなんとかしようと周囲を見回す。
すると少し離れた場所に水飲み場があることに気が付く。
上岡はさっそく女の子を水飲み場に連れていくと、自分のシャツを脱いで水に濡らし
タオル代わりに女の子の体を拭き取っていく。

  少し冷たいが我慢しろよ。

泣きながらコクリと頷くの子、濡らしたシャツで体を拭いていると背中の大きな痣が目に入る。
さっきの虐めでできたのだろうか、だが良く見るとそうではないらしい。
どうやら生まれつきの痣のようだ。
上岡は女の子の体を拭き取ると服を着せていくものの、手足のあちこちに擦り傷ができている。
上岡は女の子を連れて薬局に行き薬を買うとそのまま公園のベンチに戻って傷口に塗り付ける。
  
  痛い!

薬が沁みるのか思わず声を上げる女の子。
  
  我慢しろよ、傷口に黴菌が入ると大変だからな。

無数の傷に薬を塗り終えた上岡は訳を聞いてみる。
  
  どうしてこんな酷い目に遭わされたんだい?

哀しい目で俯く女の子は何も語らない。
  
  黙っていてもわからないよ、話してごらん・・・。

女の子はチラリと上岡を見ると、
 
  みんな、あたしが嫌いなの・・・。

  嫌い? 嫌いって、何か嫌われるような事でもしたのかい?

  ううん・・・。

大きく首を振る女の子は、
  
  あたし、テストでいい点とったの、そしたら生意気だって・・・。

テストでいい点を取ったら生意気?
不条理な話に首を捻る上岡。

  良い点を取るなんて素晴らしい事じゃないか、生意気でもなんでもないさ。

  でも、あたし、おとうさんもおかあさんもいない、そんなあたしがテストでいい点を取ると
  みんながイジメるの、親ナシのくせに、みなしごのくせにって、うう・・・。

泣きだす女の子を優しく愛撫する上岡は、どうやら女の子が孤児らしいことが判る。

  そんなことないさ、勉強ができるキミは立派なものじゃないか!

  ほんとう?・・・。

泣きべそを掻きながら問う女の子に上岡は笑顔で答える。
 
  ああ、本当だとも、キミが大人になれば判るさ、それに、キミの成績を妬む連中なんか放っておけばいい。
  そんなことに負けずにこれからも一所懸命に勉強するんだ、
  そうすればきっとキミのことを判ってもらえる友達もできるさ!

上岡の励ましに泣き止む女の子は、
 
  ほんとう? 勉強すれば本当にお友達ができる?

  ああ、できるさ、だから挫けないで頑張るんだ!

上岡はポケットからカートリッジ式の万年筆を取り出し女の子の手を取ると、
 
  これをキミにあげよう。

女の子は手にした万年筆を不思議疎な目で見つめる。
  
  これ、なぁに?

上岡は女の子を励まそうと俄かな作り話を聞かせる。
  
  これは万年筆だがただの万年筆じゃないんだ。
  この万年筆には神様が宿っている、これをキミにあげよう。

  かみさま?
  
  そうだ、辛い時や悲しい時、挫けそうな時にこの万年筆にお願いするのさ。
  きっと神様が願いを聞いてくれる、そして頑張るんだ!」

手にした万年筆を見つめる女の子はコクリと頷く。
上岡は女の子の頭を優しく撫でながら、住んでいる場所を聞くと、
この近くの施設だというので送っていこうとすると、
 
  だいじょうぶ、あたしひとりで帰れる。

万年筆を手に走り出していく女の子、途中で立ち止まると振り返り、

  ありがとう!

可愛らしい笑顔で手を振り再び走り去っていく。
その女の子を助けて以来、上岡はなんとなく身辺が変わっていることに気が付く。
それは言葉では言い表せないもので、敢えて言えば身辺が明るくなった感じだった。
それから暫くして、女の子のことも忘れ掛けたある日のこと。
気まぐれに学生課に立ち寄った上岡は求人掲示板に張られたR出版社の求人票を見つける。
R出版と言えば名の知れた大手の出版社だ、とても自分には無理と思いながらも、
どうせダメもとと思いながらも履歴書を持ってR出版社を訪問した。
その数日後、なんとR出版社から内定通知が来た。
狂喜する上岡に同窓生は奇蹟と空買いながらも共に喜んでくれた。
こうして上岡は就職も決まり無事に大学を卒業していく。
それから五年後、上岡は再びあの女の子と再会することになる。
だが、その再会は想像もつかない、とんでもない形での再会となる。
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