それでも君が必要だ
長い指が頬をそっと撫でるように拭った。
「大丈夫?」
うん、とうなずく。
大丈夫。
私は、大丈夫。
抱き締められて気持ちが揺れてしまったけれど、離してもらったら少し冷静になってきた。
あなたのその黒い瞳は何を考えているのかわからないけれど、もう勘違いはしない。
あなたには惑わされない。
大丈夫。
「ごめん」
「私の方こそ、すみませんでした」
顔を上げて微笑んで見せたら、智史さんは寂しげに微笑んだ。
「もう、平気?」
「はい。……コピーの続き、やりましょうか?」
「うん……。そう、だね」
「早く終わらせちゃいましょう」
今一つ動きの鈍い智史さんを急き立てるようにコピー機に向かった。
不思議とスッキリとした気持ち。
ピ、ピ、ピッ!
ボタンを押してまたコピーの設定をする。
ただひたすら渡された伝票をコピーするだけの繰り返しなのに、作業はリズミカルに進んでやっぱり楽しい気持ちになる。
そしてじっと考えた。
これから私、どうしよう。
今すぐ父の元を離れようか。
そんなことをしたら、智史さんの迷惑になる?
私の存在が必要なのは、会計士さんが打開策をみつけてくれるまでだから、それまではちゃんと婚約者のふりをしておいた方がいいよね?
父が私と智史さんを婚約させた意図がわからないから、勝手なことをして迷惑をかけたら申し訳ないもの。
そして私が要らない存在になったら、離れよう。
父からも、智史さんからも、仕事からも。
今の私の全てから。
そのためにはどうしたらいい?
父から離れたら家がない。お金がない。
住む家がいる。家を借りるお金がいる。お金を得るための新しい仕事がいる。
……どうしよう。なんだかとても大変かも。
一人ってもしかして、とても大変なのでは?
私、頑張れるかな?
そうしてため息をついた頃には、残りのコピーも全て終わって日も暮れ始め、工場は赤とオレンジが混ざったような綺麗な夕日に包まれていた。