それでも君が必要だ
車から降りて扉がバタンと閉まった瞬間、ふくらはぎに感じた冷たい風に思わず身を縮めた。
そうだ。
ここで智史さんと別れたら、私、あの家に帰らないといけないんだ。
……帰りたくない。
帰ったら父が私を待っている。
帰りたくない!
車の中に戻りたいよ。
あの心地いい助手席にもう一度座りたい。
どうして私、簡単に降りてしまったんだろう。
言葉に出して言えないけれど。
それでも必死な思いで見上げた。
私、もう一度車に乗りたい!
智史さん、もう一度あの暖かいおうちに私を連れて行って!
お願い……気が付いて。
じっと見上げた私に異変を感じたのか、智史さんは「ん?」と私を見おろした。
黒縁眼鏡の奥から私を見つめる漆黒の瞳。
その黒い瞳と目があったら、智史さんが会社を助けるために私といることを思い出して、あっという間に気持ちが冷静になって、あんなに気が付いて欲しかったのに連れて帰ってほしいなんて、そんな希望を持ってはいけなかったことにハタと気がついた。
希望を持ってはいけないことに気がついて、どうしようもない私自身の現実に気がついて、締め上げられるように心がミシミシと音を立てて凍りついていくのを感じた。
「どうしたの?」
「いえっ!すみません!なんでもありません。失礼しますっ」
「あっ」
振り切るようにくるっと向きを変えて、バッと駅に向かって走った。
明るい方へ、とにかくあの駅の中へ向かおう。
走りながら最後に智史さんにちゃんとお礼を言わなかったことを後悔したけれど、それでも振り返ることはできなかった。