キスは目覚めの5秒後に


電話番号の書かれたメモを受け取りつつ事務的に答えると、橘さんはすっと近付いてきて、指先で私の髪に触れた。

節くれ立った長い指が、肩まであるストレートの髪を優しくもてあそぶ。


「その敬語、止めてくれって言っても無理か?堅苦しい」


囁きかけるような声が妙に色っぽくて、甘えているようにも聞こえる。


「はい。無理です」


きっぱり断ると、彼はため息混じりに「即答だな」と言って肩をすくめた。


すごく残念そうだけれど、立場的にも心理的にも敬語を外すことなんて到底無理だ。

堅苦しくても諦めてもらうしかない。


「じゃ、頼む。ちゃんと鍵閉めろよ」

「はい。いってらっしゃい」


部屋を出ていく彼を見送った。


「頼む、か。役に立つように頑張らなきゃ」


昨夜、私と彼は契約を結んだ。

無一文の私に彼が提示したのは、お互いの利害が一致したものだった。


『あんたはスウェーデン語ができる。英語もだ。俺の仕事を手伝ってくれないか。そのかわりに俺は、あんたが帰国するまでの衣食住を保証する』


彼の仕事は経営コンサルタントだと言った。

外資系の会社に勤めている彼は、このスウェーデンで邦人の依頼があるとこうして出張してくるらしい。

大抵の日本人経営者は英語の日常会話はできるけれど、スウェーデン語での会話ができないから、現地社員だけだと細やかなコンサルティングができないそうだ。

そういう場合、語学堪能な日本人の社員が呼ばれると説明された。

今回、後から合流するはずだったスウェーデン語が堪能な社員が仕事の都合で来られなくなり、書類作成ができずに困っていると言った。

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