優しい胸に抱かれて
『こないだ田舎から姉ちゃんが、旦那と喧嘩して飛び出して来て。何も持たずに来たから着替えやらなんやら買い出しに付き合わされたんだけどさ、散々買ったくせに旦那が迎えにきたもんだから結局、未開封のまま全部置いてったのがあるから』
この時、お姉さんがいたんだって初めて知った。揺れるタクシーの中で彼の話をもっと聞きたい、もっと知りたいって思っていると、『続きは帰ってからな?』と、私の手を自分の大きな手の中で包んだ。
羊蹄山の麓、彼の生まれた町。彼のお姉さんは4歳上でよく旦那さんと喧嘩しては飛び出して、バスを乗り継いで札幌まで出て来てしまうんだと弱り果てたように溜め息を吐いた。
そんな彼のお姉さんの置き土産は、着替えからスキンケア用品、もちろんシャンプーも歯ブラシもあった。どれもこれも未開封で、インナーキャミに下着も入っていたから、本当に何の心配にも及ばなかった。勝手に使ってしまうのは良心が咎めたが、気にしなくていいと言われ快く使わせてもらった。
グレープフルーツのようなシトラス系のものだと思っていた香りは、セドラという柑橘類だった。制汗ジェルだと言っていた香り。前回は気づかなかったが、シャンプーとトリートメント、ボディーソープ、整髪材も同じ香りで統一されていた。
彼の寝室、ベッド脇のサイドテーブルの上。木製のフレームの中で恥ずかしそうな笑顔を見せ、賞状を手にした私の写真が収まっていた。
『な、なんで! どうしてこれが…』
『あー…、すっかり隠すの忘れてた。いや、これには深い事情が…』
と、歯切れが悪くなる。私はすかさず写真立てを伏せて置いた。
『何すんの、せっかく飾ってあるのに。これは一級建築士の合格祝いで平にもらったんだよ。ご褒美ってやつ。この1週間は見るのはちょっと辛かったけど。でも、柏木の頑張った証がこの一枚に全部表れてるから、俺も頑張ろうって思えんの。頑張ってって祈ってくれたのが好きな子だから、頑張れる』
伏せられた写真立てを元に戻す。後ろから突然抱きしめられて肩が跳ねる。