となりの専務さん
終始無言のまま、バスは東京に着いた。

時間が遅かったのもあり、専務はバス停に着くと「危ないからちゃんと後ろついてきて」と言った。

危ないから、と心配してくれる専務のやさしさ。
“となり”じゃなくて“後ろ”と言ったのも、別れ話を切り出した私の意見をわかろうとしてくれている専務のやさしさなのかもしれない。



アパートに到着すると、専務は「部屋来て」と言って、自分の部屋に入っていった。
私も、専務に続いて専務の部屋に入った。

…….専務の部屋に入るのにこんなに緊張するのは、この部屋に初めて入る時以来だ。
……もしかしたら、あの時よりも今の方が緊張しているかもしれない。



部屋に入ると、専務が部屋の電気を点けてくれて、いつものようにテーブルの前に座るように言われる。

いつもの場所に座ると、専務もいつもののように、私の正面に座った。


少しの間やっぱり沈黙が流れたけど、やがて専務が口を開いてくれた。


「……さっきも言ったけど、別れ話は、正直君の本心とは思えない」

「……」

「……だけど」

専務は私の目をまっすぐに見つめて、続けた。


「君自身が本心だと言い張るのなら、俺も、ああそうなんだと思うしかない。本心はどうあれ、君がそう言い張るのなら」

そして、専務は。



「……本当に、別れたい?」


私が、別れたいですと言えば専務は別れてくれる。そんな雰囲気だ。


別れたくないよ、本当は。ずっといっしょにいたい。ずっととなりにいたい。私以外の女の子が専務のとなりにいるのは嫌だ。


……だけど。

この答えが、専務にとって一番いいものだから。

だから私は。


「……別れ、たいです」

泣くのを我慢して、私も専務の目をまっすぐに見つめ返して、そう言った。
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