となりの専務さん
月野さんが外に出ていったあと、私と大樹くんはさっさく作業を開始したけど。


「なんだか退屈な作業じゃない?」

仕事を初めて数分経った頃、大樹くんがヘラッと笑いながらのんびり口調でそんなことを口にした。
小声とかじゃなくて、あまりに普通に言うから、室内に残る係長と鹿野さんに聞こえたんじゃないかと、私は慌ててふたりの方を振り返った。
ふたりには聞こえてなかったみたいで安心したけど、ほんとにヒヤッとしてしまった。
大樹くんは、たぶん不満を口にしたと言うよりは、思ったことをなにも考えずに言ってしまうタイプなんだと思う。ほんとに天然だし。


「し、仕事中にそんなこと言っちゃダメだよ」

「ん? でも月野さんが外出ていく前に、『おしゃべりしながら作業してていいよ』って」

「た、確かにそう言ってくれていたけどっ。せ、せめて声の音量下げようよ」

「ああ、そうか。ごめんごめん。じゃあ小声で話すね。あのさ、広香は出世欲とかある?」

「え?」

「俺は実はあんまりないかな。のんびり仕事やって、それなりに楽しくやれればそれでいいかなって」

「……」

「広香は?」

大樹くんの言葉に、私はゴム印を押す右手を止め、顔を上げた。
そして、大樹くんをまっすぐに見つめ。


「私は、出世したいと思ってる」


そう答えると、大樹くんは少し驚いたような顔を見せた。
私は、あまり積極的なタイプでもないし、ハキハキしてるタイプでもない。仕事で出世したい、と思ってるのが意外だったんだと思う。

私は、それ以上はなにも言わず、すぐに顔を下げて伝票にゴム印を押すのを再開した。

大樹くんも、「ふーん、そっか」と答えて、また作業を開始し、その後もちょくちょく話しかけてはきたけど、出世トークはそこですぐに終了した。大樹くんから始めた話題だったけど、大樹くんにとって大して興味はなかったんだと思う。


……出世がしたいと言っても、べつにバリバリ仕事がしたいってわけではない。
出世して、いろんな仕事ができるようになって、少しでもお金を稼ぎたい。
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