草食御曹司の恋
「梓、俺たちもうこれ以上……」
会うのは止そうと続くはずの言葉は、声にはならなかった。彼女が自分の唇で、俺の口を塞いだからだ。
唇が離れると、彼女は口を尖らせて、拗ねたように言った。
「おかしいじゃない、聞いてたのと違うわよ」
彼女の突然の抗議に、俺は混乱した。言葉の意味は分かるが、彼女がどういうつもりなのかはさっぱり分からない。
「なんの…話だ?」
「だって、お兄ちゃんから聞いたの。あなたは、来るもの拒まず、去る者追わずだって」
そういえば、学生の頃そんなことを言っていた時期もあったように思う。本当は違う。面倒なことになりそうな女は全力で拒んでいた。梓以外は、だけれども。
「だから、私は決めたのよ。ぜったいに自分からは去らないって。追ってもらえなくても、私が一生あなたの元に通えば済む話だから」
「は?まさか一生こんな関係を続けるつもりだったのか?」
彼女の気の強そうな瞳が、これは本気だと俺に訴える。そんなことあり得ない話だと、どんなに否定したところで、彼女は決して折れそうになかった。
「そうよ?悪い?だって、仕方ないじゃない!どうしても、あなたがいいんだから」
威勢良く言い始めたものの、最後は涙混じりになる。熊澤梓という女は、いつだって明るくポジティブで、自分の思った通りに生きている。涙なんて流すのは見たことがない。
「愛してるの。お願い、どっか行けなんて言わないで」
初めて見た彼女の涙は、俺の胸元を冷たく濡らした。俺は、その冷たさに怯むことなく、用意していた言葉を続ける。
「そう言われても、困る。もうこれっきりにしよう」
女と関係を切るときは、いつもそうしてきた。淡々と、突き放す。未練など最初から微塵も持ち合わせていないかのように。それが相手のためになるのだと信じてやってきた。
その言葉に、梓はしばし押し黙った。
何かを考えているのか、俯いたまま涙を拭う。いつもより細く見える、微かに震えている肩を、思わず抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。
本当は喉から手が出るほどに、この女を欲しているというのに、伸ばしかけた手を必死に引っ込めた。