草食御曹司の恋

次に沈黙を破ったのは、彼女の嗚咽でも、俺の心にもない言葉でもなかった。

小さな電子機器の振動音。
鞄に無造作に放り込んだままのスマートフォンが着信を知らせていた。

放っておこうかとも思ったが、溜息をついてベッドから立ち上がる。
ちょうどよく、この場を離れたかったのだ。彼女と同じベッドの上で温もりを共有していては、これ以上彼女を冷たく突き放す自信はない。一度頭を冷やさねば。

手の中のスマートフォンが表示した相手を見て、俺は一人ほくそ笑む。
今朝方、空港で幸運を祈った友人だ。
おそらく、俺の目論見通りに事が運んで、慌てて電話してきたのだろう。
梓に背を向け窓際に立ったまま、スマートフォンをタップした。

「俺の部屋の居心地はどうだ?」
「……ああ、お前が憎いくらいに最高だよ」

含みを持たせた親友の言葉に、俺は笑いを堪える。悔しそうに話す錬の声が聞こえただけで、色々と策を練って手配した苦労も報われる。

「俺からの、せめてものプレゼントだ。素直に受け取れよ」

錬には内緒にしていたが、今晩、例の彼女が俺の部屋を尋ねてくることになっていた。そこで、二人が感動の再会を果たす計画だ。
連の声を聞く限り、すでに彼女との対面を果たしたのだろう。そこから先は、錬のアクション次第だ。大の大人にこれ以上は世話も焼けない。

「お前に頼んだつもりはないが、礼は言う」

律儀な親友はきっと電話口で神妙な顔で頭を下げているに違いない。それを想像したら、また笑いがこみ上げてきた。
そんな俺に一矢報いるかのように、錬が軽く咳払いをしてから、俺に向けて鋭い指摘を投げかける。

「それはそうと、お前はいつの間に結婚したんだ?」

おそらく、彼女から訪ねてきた理由を聞いたのだろう。偶然大学構内で見つけた彼女に下手な小芝居を何度か打った。
まずは彼女の警戒心を解くために、梓を妻だと紹介した。梓はこれが噂の兄の思い人かと、喜んでこの作戦に乗った。会ってみたら、なかなか気の合う性格だったらしく、二人が随分と仲良くなったのは予想外だったが、そのお陰で、とても自然に彼女を我が家に招くことができた。
さきほどまで彼女は、友人になった日本から赴任してきた夫婦の招きで、ホームパーティーに参加するつもりだったに違いない。

それは、単なる芝居だと錬に伝えるつもりが、先に言葉を続けたのは錬の方だった。


「……俺の、妹と」
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