草食御曹司の恋
スマートフォンを鞄へと戻し、振り返るとそこに梓の姿はなかった。
先ほどまで彼女が毛布にくるまっていたあたりには、シーツの皺が残るのみで。
その彼女が作った皺でさえも、どうにも愛おしく感じるのだから始末が悪い。
もう会わないと彼女に告げた。
彼女は、部屋を出て行った。
望んだ結果になったはずなのに、俺の心は冷たく凍り付いたように固まった。
錬にどれだけ素直になれと言われても、梓との関係を続けるつもりはなかった筈なのに。
ぼんやりとこれから一人で過ごす休暇について考えながら、体は今にも彼女を追い掛けようとしている。
その自分の中の矛盾にため息をつきながら、汗を流すためにシャワールームへと向かった。
ガチャリ。
俺が寝室のドアノブに手を伸ばしたのと、扉が開いたのはほぼ同時だった。
「きゃっ」
「うわっ」
扉の向こうに立っていたワンピース姿の梓はドアノブを持ったまま、寝室の中へとなだれ込む。
「梓……?」
出て行ったものとばかり思っていた彼女を受け止めながら、疑問符とともに彼女の名前を呼ぶ。
よく考えてみれば、あんなに僅かな間には身支度も荷物を全てまとめて部屋を出て行くことなど無理だと気が付く。
すっかり冷静さを欠いている自分に呆れながら、抱いていた彼女の体を離した。
「びっくりした」
屈託無く笑う彼女は、先ほどまでの話など無かったかのように、いつも通りで。
その笑顔に、どうしようもなく安堵してしまう俺は、おそらく彼女に未練たっぷりなのだろう。