草食御曹司の恋
「博之くん、お腹空かない?」
いつも通りの笑顔で彼女が発したのは、またしても拍子抜けするようなひと言だった。
「ああ、まあ…たしかに…」
困惑する俺を前に、彼女は嬉しそうにキッチンを指さした。
「日本から持ってきたの」
キッチンのカウンターの上、すでに懐かしく感じる日本語のパッケージがいくつか見えた。レトルトのご飯に、焼き海苔、塩昆布…
「おにぎり握ろうと思って」
時間帯的には夕食に出てもおかしくない頃だが、食べ慣れない南国料理よりも、今はシンプルな4文字の日本食に何倍も魅力を感じる。
「即席のお味噌汁もあるよ」
弾んだ声でたたみ掛ける梓に、思わず頷いてしまいそうになる。偶然にも昼間“白米と味噌汁の朝食が食べたい”と言ったことを思いだして、ドキリとした。
だけど───
「さっきの話、聞いてたか?」
「とりあえず、お腹を満たしてから、もういちど話を聞くことにしました」
俺の戸惑いが伝わったのか、梓は少し神妙な顔に戻って、きっぱりと宣言した。
「お腹が空いてると、感情的になりやすいから」
まっすぐに俺を見つめるその瞳は、絶対に納得するまでは首を縦に振らないという強い意志が見えた。
錬にそっくりだ、と思った。
この兄妹はまるで見た目は似ていないのに、真面目で意思が強い性格は、とてもよく似ている。
「だから、やめておこうと思ったんだ」
どこまでも弱気な本音がぽつりと漏れた。
このまっすぐな瞳に、到底俺は敵わないから。彼らの存在が眩しくて、自分の不甲斐なさを何度も思い知らされる。