草食御曹司の恋

彼はすべてを理解した上で、無表情で冷徹な上司の役をやっている。
そのことに気がついたのは、彼の秘書になって半年が経った頃だった。

よりよい技術を追求するには、上司と部下が馴れ合いの関係にあってはならない。
つまりは、ある程度自分が厳しい上司として目を光らせていると思われることにより、意図的に室内に程よい緊張を生み出すことを狙っているのだ。
部下のミスにあえて冷酷に「分かりました」と告げて、そのまま励ますこともせずに「すぐに対応を」と迫るのは、本来の彼の性格からくるものではない。確かに、頭の中に溢れる電子回路で気もそぞろになっていることは確かだが、あえてやっている節もある。
突き放すことで、程よい緊張感を生み出そうとしているのだ。

その証拠に、演技を終えて部下が出て行った後の彼は、いつも深く深呼吸をする。そして、上手くいったことにふっと小さく笑いを漏らすのだ。
彼が、緊張から解き放たれるのは、ほんの一瞬だけ。
一重の瞳を細めて、小さく薄い唇からそっと息をはき出す。
またすぐにいつもの無表情に戻るまでの数秒間に気がついたとき、私は見事に彼に恋に落ちていた。


特別に容姿がいいわけではない。
日本人独特の薄い顔立ちと中肉中背のぽってりとしたスタイルは、父親である社長に瓜二つだ。
見た目から「残念御曹司」などと揶揄されているのを時折耳にするが、実際の彼はまるで残念な要素などない。

仕事熱心。
密かに、部下思い。
必要以上に紳士的な態度。
時折見せる素顔は、可愛らしくもある。


そんなに彼に惹かれているのならば、この苦しくも甘い胸の内を、思い切って告白してみればよいのだが……

簡単にそうできない訳が、私にはある。
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