草食御曹司の恋

彼の秘書をするようになってから、正確には面接に訪れたその日から、彼は私を特別扱いすることは一度もなかった。
まるで、私たちがお見合いをした事実などなかったかのように、彼は私に対して他の部下達と同じように接した。
そのお陰で、縁故採用だと騒がれることもなく、また私が矢島物産の社長の姪だとバレることもなかったから、正直なところとても助かった。

けれども、基本的に話をするときは無表情で、同じ部屋にいてもほとんど視線を合わすことすらない。お見合いの日とはまるで別人だ。
木製のパーテーションの壁という簡易な造りではあるものの、室長室は扉の付いた個室空間になっている。
その扉を開けた真正面、奥に座る彼に対して、扉の脇に彼とは90℃向きを変えて座る私とでは確かに向いている方角が違うのだが、それにしても一日のうち視線が合うのが数回というのは珍しい。
彼が私に視線を合わすのは、業務上の指示や質問を交わすときだけだ。それ以外の時間は、存在自体忘れられているのかも知れないと思う。


それでも、いいと思っていた。
このまま、彼の側で働き続けられるのならば。

結婚より仕事を選んだ私にとって、恋い焦がれる人の元で働けること、それはむしろ幸福なことだと思っていた。



この数日後。

二年前の自分の選択を深く後悔することになるとは、思ってもみなかったのだ。
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