Poisony Poison Girl
 …えっと、夜。午後十時過ぎ。 
「えー寝ない寝ない寝ない」 
 と珍しく駄々をこねる毒素さんを押さえつけ布団春巻きの刑に処し(紫の春雨なんてどこの国のびっくりグルメだ)、いつも通りに白衣の廃棄と消毒シャワーを終わらせて部屋を出ると、そこには顔面蒼白したルイ氏が突っ立っていた。 
「所長が…」 

 何があったのか理解不能。ダッシュで所長の所へ向かう。ルイが先に走り、二歩後ろを僕が走った。しばらく走った。目的地が見えた。三階の所長室ではなく一階の医務室だった。 
 医務室は普段とは明らかに異質な雰囲気だった。 
「一体、どうしたんですか」 
 疑問符の付属しない僕の問いに医務員のまだ若い女性が答えた。全学研付属の医大出身らしい。 
「所長が少し前、体調が悪いとここへ来られて。最初はちょっとした風邪のような症状だったのだけどどんどん酷くなっていって…血液検査をしたところ、微量の毒が検出されました」 
 所長はベッドで横になっていた。顔色が悪く、衰弱して動けないようだ。さっきまで元気にキノコ談合していたのが嘘のように弱っている。 
 周囲には研究員が大勢集まっていた。白衣を着た者や私服の者もいた。きっと、毒素さん以外の皆は一人残らずここに集まっているのだろう。 
「検出された毒の種類は…?」 
 ここは毒物研究所、毒ラボだ。毒物のプロフェッショナルばかり無駄に集結している。 
「菌類や食虫植物がもつ自然界では普遍的な種類の毒です。所長は午前中、植物採集に外へ出られたので、その後の食事で誤って体内に取り込んだのかと…」 
 研究員の一人が答えた。 
 …しかし、おかしい。午前中に取り込んだのなら、午後、毒素さんとの面会時に発症していてもおかしくないんじゃないか?夕食で摂取したとしても時間が空きすぎだ。自然界で遅行性の毒物が増殖してるなんて聞いたことないぞ…。幾名かの研究員が顔をしかめていた。僕と同じことを考えているのだろう。 
「毒素さん…PGP被験体から毒を吸い込んだという可能性は?」 
 僕が言った。それに対して答えたのは隣にいたルイだった。 
「いや、その可能性は無いな。彼女は外側に毒を撒き散らすようなことはない。身体もそういう風に作られている。もしそうだとしたら、ジン、お前も発症してておかしくないだろう。それから、検出された毒はPGP被験体には使用されてないタイプの毒だった」 
 担当が違うのにやけに詳しかった。いつの間に仲良くなっていたのだろう。その事実が僕がいつも忙しなく世話している毒素さんのことを連想させ、僕の落ち着きをわずかながら取り戻すによりことに成功した。 
「所長は…助かるんですか?」 
「ええ…おそらく…」 
 女性が言った。 
 その時、僕の聴覚がサイレンの音を認識した。誰もが聞いたことのある、救急車の音。 
「全学研の医学部付属医院に収容し、集中治療を受けてもらいます。助かる確率はゼロではないので、頑張りましょう」 
 男性陣の手助けと、医務室が一階だったこともあり、所長を担架に乗せて救急車まで運ぶ作業はスムーズだった。僕たちは解散し、それぞれの目的地へ向かった。まだ研究を続ける者もいるようだ。 
…ある種の冷たさは、科学者にときに必要だと思った。

僕とルイは廊下に出た。
「なあ、ジン、所長、大丈夫だよな…」
「大丈夫だと信じよう」
 ルイも所長を尊敬しているのだろう。
 いつも賑やかなルイが無表情で、違和感を覚えた。
 しばらく歩いた後、ルイは、プレートに《きけんないきものけんきゅうしつ》と平仮名でファンシーに書かれた部屋に入って行った。この先の階段をスリーフロア分登れば宿泊施設があり、その一番奥が僕の部屋だ。
 タイミングを見計らったように、僕のケータイが鳴った。イギリスの伝説的な有名四人組音楽バンドの曲で、映画・獄門島の挿入曲。これは毒素さんからの電話の着信音だ。まだ起きていたのか…。
「もしもし」
「今すぐ来て」
 電話が切られた。…何だったのだろう。謎すぎる。オーパーツと同レベルに謎だ…。僕は早足で毒素さんのもとへ向かった。

「この部屋から出たいのよね」
 毒素さんは言った。発言に驚愕させていただく。時計はすでに長い針が六の上に、短い針が十一と十二の間に。
「出たいって…所長の論文が評価されればここから…」
 いや。所長は倒れた。回復を待ったとしても論文が書けるような体調、思考に戻れるかどうか…。もしかしたら毒に副作用があるかもしれないし……。
「出るの」
「出るって…」
「一回、部屋出て」
「はあ…」
 毒素さん、何があったんだ?突然すぎて、混乱している。稚拙な文章でしか表現できないのが些か残念だ。
 言われた通りに、首を四十五度傾けながらいつもの手順で部屋を出た。二分後。
 外側に着ていたフリフリのジャケットを脱いで、毒素さんが、ひとり、廊下に、出て来た。服一枚分涼しそうだ。
 焦った。
 毒素さんの身体にはどこから見ても分かるような異変が起こっていた。毒素さんの髪は紫色が薄くなっており、肌は赤っぽく、眼は充血し涙目だった。
 部屋を出る際の消毒シャワーには、研究員の消毒の他に、毒素さんの脱出防止策でもあったのだ。
 薄っすら笑いながら、彼女は言った。
「なんとか大丈夫だったよ」
「大丈夫じゃないでしょう!消毒剤を浴びたんですか!?こんな無理をして…」
「だって…」
 毒素さんは少し怯えているようだった。果たして何に。僕に。世界に。
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