君の隣
「お風呂、先に入って」

 何でもない顔で立ち上がった理名は、キッチンの片付けを始める。

グラスを拭く手が一瞬止まった。

 涙が出そうだったわけじゃない。

 ただ、“何か”がうまく流れないままだった。

その夜も、ふたりはベッドに並んで眠った。

 肩が触れる距離にいても、心はどこか、宙ぶらりんだった。

病院の診察室。

 呼び出された名前は「岩崎理名」だったが、扉の向こうにいたのは、よく知る顔だった。

「お疲れさま。
 岩崎先生」

 朱音の声は、いつものように穏やかで、でもどこか遠慮があった。

理名は静かに席に座る。

 拓実もその隣に腰を下ろしたが、言葉はなかった。

朱音はカルテを確認しながら、ほんの一瞬だけ視線を下げた。
医師として──

 彼女は一拍置いた。

「……今回の結果、ね」

 朱音は、理名の目をまっすぐ見て言った。

「妊娠反応は、出なかった。

 ──陰性だったよ」

理名の顔色は変わらない。

 けれど、拓実の指先がわずかに理名の手を握り込む。

「……わかりました」

 理名の声は落ち着いていた。

 あくまで医師として。

 現実を受け止めようとするその姿勢が、逆に痛々しかった。

< 143 / 216 >

この作品をシェア

pagetop