恋がしたい。ただ恋がしたい。
「も…っ、もうここでいいよ。ありがとっ!」
耐えきれずに、アパートに入る手前の路地で手を離そうとしたけれど、裕介くんはただニコニコと私を見つめるだけだった。
「もうちょいでしょ。いつも部屋の前まで送らせてくれるのに、何遠慮しちゃってるんだか。」
遠慮なんてしていない。
ここで離れておかないと、このままニコニコキラキラと押し切られて、さらっと部屋の中まで入って来そうで怖い。
「最近、駅裏のほうで痴漢騒ぎがあったからね。香織ちゃんのこと危険な目に遭わせたら、紫ちゃんに殺されちゃうよ。」
…言ってもいいもんだろうか。
出るかどうかも分からない痴漢よりも、目の前のあなたによっぽど危険を感じています、と。
うちのアパートの玄関は道路に面していて、マンションみたいに廊下もエントランスも無い。おまけに明かりは右端と真ん中の部屋の間に街灯が一本立っているだけ。
一階には三部屋並んでいて、しかも左端の部屋に住んでいる私のドアの前は薄暗いので、鍵を開ける時にはライトが欠かせないのだ。
裕介くんは、道すがら危険な目に遭ってもこの部屋だとすぐに鍵を開けられないだろうから、と一緒の時はいつも部屋の前まで送ってくれるのだけど…
「…送ってくれてありがと。話も聞いてくれてありがと。またね。」
アパートの部屋のドアの前で、鍵を差し込みながらお礼を言った。
散々愚痴を聞いてくれて、しかも送ってくれた裕介くんにこんな危機感を抱くのは何とも失礼な話なんだけど、怖いと思ってしまったものは仕方ない。