冷たい舌
 


 和尚の胸に縋り、うとうとしながら、透子は彼の声を聞いていた。

「おい、お前、朝まで見張ってようって言わなかったか?

 なんかこれ、あれみたいだな。

 卒論提出のとき、お前に付き合ってたはずなのに、気が付いたら俺だけが資料をまとめてるんだ。

 おい、聞いてるか、透子?」

 聞いてるよ。
 聞こえてるよ、和尚。

 聞き慣れた低い声と、身体を通して感じるその心音に、透子は、さっき逃げ出さないでよかった、と思った。

『和尚、抱いて―』

 あのとき、私は、すべてを捨てて逃げ出そうとした。
 だって怖かったから。

 死ぬことが怖いんじゃなくて。
 貴方を置いていくことが、ふいに怖くなったから。

 でも―

 淵からの風に吹かれ、透子の髪が流れて、和尚に触れる。

 透子はその髪の毛の先にまで触覚があって、和尚を感じているような気がした。

 貴方はいつも逃げないものね。
 だから、私も逃げない。

 あの日、淵に立ち尽くしていた貴方を抱き締めたいと思ったけど、私にはそれは叶わないことだから。

 だから、私は私に出来る方法で、貴方を抱き締める―

 ほんとは、ずっと―

  永遠に一緒に居たかったけど。

 絡めていた指先に力を込めた透子を、和尚が見下ろす気配がした。

 ふっと、吐息が近づく。
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