冷たい舌
「この間私を見た男は、こけつまろびつ、逃げ出して行ったぞ」
と今来た急な斜面になっている林を指差した。

 つい釣られてそちらを振り返っていると、女は溜息とともに言った。

「その男、自分が勝手に崖を落ちたんだ」

 自分がだぞ、と透ける衣を絡ませた手を丸い頬に当て、繰り返す。

「なのに、いつの間にか裸を見られた私が怒って、何処までも追いかけていって、呪ったことになってるんだ」

 眉をひそめ、お前、どう思う? と問う女に、和尚は吹き出した。

 いまいち緊張感のないその女の口調のせいか、何処から聞きつけたのか、たかが人間の噂話に本当に困ったような顔をしているせいか。

「俺も聞いた、その噂。この山には素晴らしく―」

 その先を和尚は飲み込んだ。

 本人を前にして言うのは、さすがに気恥ずかしかったからだ。

 素晴らしく美しい、絶対にこの世のものではない女が居て、それを見ると、目が潰れ、呪われるという。
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