早春譜
 ある日マンションのドアを開けたら、詩織の母親がキッチンに立っていた。


「ママ、何時戻って来たの?」

本当は嬉しいクセに詩織は戸惑っていた。
まだ手術を受けた箇所が治りきっていなかったからだ。
足からは金属の一部が飛び出したままだったのだ。


松葉づえを突いている詩織に驚き、母はすぐに駆け付けて来た。


「詩織、その足どうしたの?」


「あっ、これは……」

母が戻って来ると入学式の日にウキウキしていたのは事実だった。
でも今は会いたくなかった。


母に注意されていた並み列走行をしていた訳ではないのだが、自転車のハンドルが噛み合って事故を引き起こしてしまったからだった。


「申し訳ありません。大切なお嬢様に大怪我を負わせてしまいました」

淳一は頭を垂れた。


「いいえ、私の不注意だったの。先生のせいではないの」

淳一を庇うように詩織は言った。


「先生って?」


「あっ、お嬢様の通っている高校で国語の教師をしております。学校には兄妹だと打ち明けて、送り迎えしております。勿論許可は得ております」


「そうね。貴方達は確かに兄妹だからね」


(確かにって? どういつこと?)


「そうですよね? 親父の奥さんのお子様だから、やっぱり兄妹ですね」


(あっ、そういうことか……)

解っていながら、詩織はパニクっていた。




 「ところでこの足は?」


「あっ、私から言います。実は、校門の前にカーブミラーがあって……。ちゃんと見たのよ、でもその時は何も映っていなくてそのまま飛び出したの」


「その時、自分も車を発進させていて、急ブレーキを踏んだのですが……」


「ごめんなさいママ。私慌ててしまって、直美の自転車のバンドルと噛み合ってしまったの」


「それで直美って子の怪我は?」


「大丈夫。私だけ足を折ったの。同じなら良かった。ごめんなさいママ、何時も注意されていたのに……」


「でも、良かったわ。その直美さんが無事で……」

母はホッとしたらしく、ため息をついた。


「本当にごめんなさい。でも、並列走行だけはしていないからね」


「結果的には同じよ。それで手術した訳ね?」


「ママ凄い。良く解ってる」


「その金具見れば解るわよ」


「この方が早く治ると言われまして、日帰り手術でした」


「それでずっとこの子に付いていてくれた訳ね。本当にありがとうございました」

母は深々と頭を下げた。




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