強引なカレの甘い束縛
大学時代の恋人への複雑な思いがきっかけとなってわざと自分を大したことのない人間だと口にしていたけれど、それは彼女の見せかけの姿だと、改めて思う。
社内での仕事ぶりもそつがないし、講習会での真面目な取り組み方や将来への堅実な計画性。
大したことがないなんて、とんでもない。
仕事だけでなく、身につけるものやメイクにだって気を配り、自分に妥協せずに生きていることはこの数日でよくわかった。
おまけに、今こうして市川君と再会して照れている姿を見てしまえば、陽太が言うように、彼女を狙っている男性がいてもおかしくない。
だけど、そんな稲生さんを不愛想な表情で見ている男性がひとり。
もちろんそれは市川君だけど、接客中だというのに、大丈夫なのかと心配になる。
輝さんはどうしたものかと苦笑しながら、やんわりと声をかけた。
「市川、奥のテーブルの注文を頼むよ。その、眉を寄せて口がへの字になっている顔はすぐに修正して、愛想よく頼むよ」
「……すみません。すぐに行きます」
輝さんの言葉に頷くと、市川君は稲生さんの耳元に「今日はこのまま帰るなよ」と言って背を向けた。
たくさんのお客さんで賑わう店内を慣れたように歩き、ふとこちらに向けられた顔を見れば。
「あーあ。あっという間にイケメン店員の顔に戻ったな。今まであんなに機嫌が悪そうな顔をしていたなんて信じられないよな。だけど、どうして市川巽がここでバイトをしてるんだ?」
いつの間にか私の隣りの席に腰を下ろした陽太が首をかしげた。