ビタージャムメモリ
とても顔を上げられない。

情けないと思いつつ、先生の足元あたりに視線をうろうろさせるのが精一杯で、その代わり今度こそはっきり言おうと思った。



「す、好きです、という、ことです」



行け、弓生、と覚悟を固める前に口は動いていた。

耳の奥が、どくどくと鳴っている。

だいぶたって、それが去ると、訪れたのは静寂だった。


不安になって顔を上げると、先生とはっきり目が合った。

その目が一瞬、陰りを帯びて揺れたのがわかる。

いったいどうしたらいいのか、とそこには書いてあった。


身体中の血が、顔に集まってきた。

何やってるんだろう、私…!



「あの、すみません、が、が、学生気分で! でも仕事はちゃんとやらせていただきますから、あの、おかまいなく」

「いや…」

「言いたかっただけなんです、本当に、勝手なことして申し訳ありません、でもできたら、あの、ばっさり答えていただけると、あきらめもつくというか」

「ちょっ…、待って、待って」

「ちなみに私、歩くんとはなんでもありませんので!」

「待ってって!」



答えろと言いながら逃げ去ろうとしていた私の手を、先生がつかむ。

きゃあっと声を上げた私にぎょっとしたのか、ぱっとそれは離された。

おそるおそる振り向くと、先生がこちらをうかがうようにして、慎重に訊いてくる。



「…話していい?」

「はい…」



もう涙目だった。

そんな私を、先生はちょっと困ったような顔で見た。



「求められている答えとは違うのを承知で、言うんだけど」



私を驚かせてしまった手を、握ったり開いたりしながら、言葉を探している。



「すごく正直な話をすると、僕の優先順位の一番は、歩なんだ。これはこれからも変わらないと思う」

「…はい」

「それから僕は、歩をあんなふうに扱った姉のことがどうしても頭にあって、そのおかげでなんというか、そういうものに夢がまったくない」

「そういうもの、っていうのは…」

「誰かとつきあうとか、まあ、その先のことまで含めて」


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