ビタージャムメモリ
…え。

やがて視界は解放されて、目隠しはマフラーだったと気づいた。

びっくりして腕を離してしまった隙に、先生は私を置いて、さっさと大通りの方へ歩いていってしまう。

混乱する頭で、その背中を見つめた。

声が、喉を駆け上がってきた。



「──先生、私、あきらめないです、いいですか!」



夜の静かな住宅地に、似合わない必死な声。

先生は足も止めずに、顔だけをわずかにこちらに向けて。



「好きにしたら」



優しいとも、からかい半分ともとれる調子で、そう言った。

ほころんだ口元から、ふわりと息が白く舞った。


横断歩道を渡る背中が、駅の階段を下りて見えなくなるまで、私は走ったわけでもないのに、肩で息をして、見送っていた。

ずっと息を止めていたみたいに、呼吸が熱い。


好きでいてもいいですか。

好きって伝えてもいいですか。


もう私、子供じゃないです。

だから、想うくらいは許されますか。

先生もそう思ってくださってますか。


先生。

好きです。


好きです…。





もしかしたら、それが先生と会う、年内の最後の機会だったかもしれないと帰ってから気づいて。

よいお年を、くらい言えたらよかったなとか思ったんだけど。

その日の続きは、そんなのどかな結末を迎えはしなかった。





「へーっ、なんだよ、脈ありじゃん」

「そこまでは、わかんないけど…」

「いやー、巧兄ってすげえめんどくさがりだからさ、その気もないのに引っ張ったりしないと思うぜ」

「あっ、これ、忘れないうちに」



私は昨日のチケット代をお財布から出して、テーブル越しに歩くんに渡した。

フォークをくわえたまま、サンキュ、と彼が受け取る。

ゆうべ、すっかり舞い上がっていた私は、クッキーを置きに会場に戻り、先生の伝言を歩くんに伝えはしたものの、肝心の支払いを忘れたのだ。

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