ビタージャムメモリ
「バカ言うな、そんなこと、させられるわけないだろう!」
「なんで? 一番安心じゃん」
「何がどう安心なんだ」
「じゃあ、何がどう不安なんだよ」
「常識的に考えて、おかしいって話だ!」
「ちょっ…ふたりとも、あの」
待って、待って。
うちは広くもない1Kですし、歩くんも、売り言葉に買い言葉でそんなこと言い出しただけで、いくらなんでも本気じゃ…。
と口論を止めようとしたら、歩くんと目が合った。
一瞬だったけど、歩くんは先生に気づかれないよう、すがるような視線を向けてきた。
必死な目。
「いい加減にしろ、歩、本気で怒るぞ」
先生の声に、静かな苛立ちが混ざる。
歩くんは、びくっと怯えを見せたけれど、それを振り切るようにバイオリンのケースを取り上げ、立ち上がった。
そのまま私のところに来て、腕をつかむ。
「いい加減にするのは、巧兄のほうだ」
「歩!」
引っ張り上げられるようにして立たされ、かろうじて手放さずにいたバッグと共に、私はドアの方へ引きずられた。
先生が腰を上げて追いかけてくる。
それを無視し、歩くんがコートかけから私のを取った。
「歩、香野さんにこれ以上甘えるな」
「うるせえ」
「姉さんの件は、俺のほうで保留にしておく。お前の意志なしに破談にはしない。よく考えろ」
「うるせえって!」
ドアの前で振り返ると、耐えかねたような声を上げる。
「巧兄は、自分の夢を俺に乗せてるだけだろ」
歩くんの肩に手をかけようとしていた先生が、動きを止めた。
間近で見つめ合うふたりの間に、これまでにない緊張が走ったように感じる。
私のひじのあたりをつかむ歩くんの手に、力が入った。