ビタージャムメモリ

「バカ言うな、そんなこと、させられるわけないだろう!」

「なんで? 一番安心じゃん」

「何がどう安心なんだ」

「じゃあ、何がどう不安なんだよ」

「常識的に考えて、おかしいって話だ!」

「ちょっ…ふたりとも、あの」



待って、待って。

うちは広くもない1Kですし、歩くんも、売り言葉に買い言葉でそんなこと言い出しただけで、いくらなんでも本気じゃ…。

と口論を止めようとしたら、歩くんと目が合った。


一瞬だったけど、歩くんは先生に気づかれないよう、すがるような視線を向けてきた。

必死な目。



「いい加減にしろ、歩、本気で怒るぞ」



先生の声に、静かな苛立ちが混ざる。

歩くんは、びくっと怯えを見せたけれど、それを振り切るようにバイオリンのケースを取り上げ、立ち上がった。

そのまま私のところに来て、腕をつかむ。



「いい加減にするのは、巧兄のほうだ」

「歩!」



引っ張り上げられるようにして立たされ、かろうじて手放さずにいたバッグと共に、私はドアの方へ引きずられた。

先生が腰を上げて追いかけてくる。

それを無視し、歩くんがコートかけから私のを取った。



「歩、香野さんにこれ以上甘えるな」

「うるせえ」

「姉さんの件は、俺のほうで保留にしておく。お前の意志なしに破談にはしない。よく考えろ」

「うるせえって!」



ドアの前で振り返ると、耐えかねたような声を上げる。



「巧兄は、自分の夢を俺に乗せてるだけだろ」



歩くんの肩に手をかけようとしていた先生が、動きを止めた。

間近で見つめ合うふたりの間に、これまでにない緊張が走ったように感じる。

私のひじのあたりをつかむ歩くんの手に、力が入った。

< 134 / 223 >

この作品をシェア

pagetop