ビタージャムメモリ
「お前、ほんと巧兄のこと何も知らねーのな」
「だって、プライベートの話なんて、する機会なくって…」
「まあ、機会があっても自分からは言わないかもな。俺は巧兄が弾いてんのに憧れて、教わりはじめたんだよ」
「小さい頃?」
「んー…6歳くらいかなあ。もっと前からやりたかったんだけど、ばあちゃんが安易に楽器を与えなかったらしい。バイオリンてこう、サイズがあってさ」
言いながら寸法を測るように、両手の人差し指を広げた。
「大人が使うフルサイズを4/4て言って、腕の長さに合わせて3/4、1/2、1/4…って小さいのがあるわけ、1/16とかもう、おもちゃだろって感じで」
「へえ…」
「でもやっぱり楽器だから、買うのも調整するのも金かかんの。だから1/4を使えるようになるまで待てと。俺、飽きっぽかったのも心配されてて」
「なるほど」
「で、ようやく教えてもらえるようになって、でもすぐに、ちゃんと指導を受けろって個人指導の教室に放り込まれて」
「上手だったんだ」
「そうだったみたい。でも俺は巧兄に教えてほしくて始めたわけだからさあ、何度もレッスンすっぽかしたり、逃げ出したり」
思い出すだけで話が違うと言いたくなるのか、カップに口をつけながら、すねた口調になる。
可愛いなあ。
今と全然変わらないってことじゃないか。
「仕方なく巧兄も教えてくれてはいたんだけど、向こうはもう仕事もしてたわけじゃん? なかなか時間もとれなくて、だから俺も観念して」
「巧先生は、どのくらい本格的にやってたの?」
「小さい頃からやってて、でかいジュニアオケに入ってた、前川オーナーはその仲間だよ。高校の頃はたぶん、そういう大学も目指すレベル」
すごい。
ただの趣味の域じゃなかったのか。
先生に、今のような開発職とはまったく異なる将来を描いていた時代があったなんて、想像するのもちょっと難しい。
「でも、巧兄が高校3年の時、じいちゃんが死んだんだよ。つまり巧兄の父親な」
「え…」
歩くんは、ちらっと私を見てから、視線を落とした。
「巧兄は俺と違って勉強もできたから。音楽の方に進むのをあっさりやめて、受験していい大学行って、安定した企業に勤める人生を選んだの」
「じゃあ、さっきの話って」
両手でカップを持って、ますますうつむいてしまう。