ビタージャムメモリ

「俺ほんと、あんなこと言うべきじゃなかった。巧兄だって、好きであきらめたわけじゃないのにさ…」



思わず、その頭をなでた。

指通りのいい髪は、さらさらだ。

歩くんは言葉を詰まらせると「でも巧兄だってひどい」と濡れた声でつぶやいた。



「あんな、ばあちゃんの葬式にも来なかった女と暮らせとか」

「歩くん…」

「知りもしない野郎に借り作って生きろとか、そんなん、無理に決まってんじゃん…」



指の背で目元を拭う仕草が、幼くて胸が痛くなった。

先生は、そんなつもりで言ったんじゃないよ、きっと。

でも歩くんだってそのくらい、心のどこかではわかってるよね。



「俺、巧兄と離れてまで欲しいものなんてない…」



震える肩越しに、ぽたりと涙の粒が落ちるのが見えた。

私は歩くんの隣に下りて、肩を抱いた。



「寝よっか」



少しは年長らしいことを言ってあげられたらよかったのに。

抱きしめて、そう声をかけるくらいが精一杯だった。





【申し訳ない、本当に…】



珍しく、疲れが透けて見えるような返信が先生から来た。

歩くんを一晩泊めた翌日、会社からメールしたのだ。

ちゃんとお預かりしますよ、ということと、こちらはまったく迷惑していないのでお気になさらずということを伝えるために。


実際、迷惑どころか、歩くんは私より早くきっちり起きて、冷蔵庫にあったもので簡単な朝食まで作ってくれていた。

メイク前の顔を、子供だの地味可愛いだのさんざん笑い飛ばされたのを除けば、いつもの朝より優雅な時間を過ごしたくらい。


居所がわからないよりは私の家のほうが、先生も安心だろう。

私は歩くんが帰る気になるまで、何泊でも預かるつもりだった。

そう伝えると、ほどなくして簡潔な返事が届いた。



【ありがとう、何かあれば連絡して】



一緒にプライベートのメールアドレスと、メッセンジャーのIDが書かれている。

私は現金にも、やったと思ってしまった。

これまで連絡手段は、会社のメールか電話しかなかったのだ。

< 138 / 223 >

この作品をシェア

pagetop