ビタージャムメモリ
PCや資料で片手がふさがっている先生は、コーヒーの缶を口にくわえている。

私を離すと、それを飲み干して缶をゴミ箱に捨て、私の胸元を指さした。



「出る前に、それを返却しないと督促状が届くよ」

「えっ…あ!」



ゲスト用の立ち入りパスを、つけたままだった。

そうだ、これを返さないと。

ええと、返す場所は…。



「事務棟は、北門と逆だよ」

「…ここからは、どう行けば…」

「返しておくよ、貸して」

「いえっ、今思い出したんですが」



私、そこで携帯を預けている。

機密部署に立ち入りする時は、社員でさえ、撮影機材を持ち込むことは禁止されているのだ。

返してもらわないと、さすがに帰れない。

またあの迷路に戻るのか、と途方に暮れていると、先生が廊下に顔を出して、先を行く四人に声をかけた。



「柏! 少し遅れる、先に始めててくれ」

「了解でーす」



廊下の向こうの方から、柏さんが手を振って返す。

ぽかんとする私を振り返り、「一緒に行くよ」と先生が微笑んだ。



「年末年始まで歩を預けてしまって、ごめんね。帰省できた?」

「はい。神奈川なので、毎年元旦に日帰りするくらいなんですよ」



そう、と安心したようにうなずく。

事務棟は想像したより遠く、屋外と屋内を忙しなく通過しながら、何を目印にしているのかと首をひねるような角を何度も曲がり、殺風景な建物の間を進んだ。

先生と顔を合わせるのは、この間の先生の家での、あれ以来で、私は顔が赤くならないよう必死に心を落ち着かせる。

しかも先生、作業着だし。

迷いのない足取りといい、ここは先生のホームなんだ。



「土曜には、どうあっても家に戻すから」

「私のことでしたら、おかまいなく…」

「いや、歩自身も、そこでけじめをつけたいと考えてると思う」


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