ビタージャムメモリ
保管庫の鍵は承認者がいないと時間外には使えない、承認者はもう帰った、後日送付も無理、後で取りに来い、等々。

が、半泣きになる私を見かねて、先生が交渉にあたったとたん、相手の女性の態度が一変した。

今回限りですよ、と秘密めかして、あっさり対応してくれたのだ。



「ここでも有名人なんですね、先生」

「物珍しいだけだと思うよ、いつも隅のほうで何やってんだろうねあいつら、って、今まではそういう立場だったから」



事務所の女性が、携帯を渡す際、『特装の眞下さんですよね』ときらきらした視線を送ってきたのだ。

先生は落ち着いたもので、『ええ、どうも』と礼儀正しい微笑を浮かべただけで、さらりと流してしまった。

慣れてるんだろう。



「すみません、すっかり遅くなってしまって」

「いや、香野さんこそ、戻りは大丈夫?」

「はい、直帰予定で出てきたので、もう帰るだけです」

「そう…」



先生がふと言葉を切ったように見えた。

そこは建物の出口が見えてきたあたりで、もう大丈夫だと判断した私は、今度こそ先生を解放しようと、あの、と切り出す。



「ここで…」

「ちょっと待てる? 着替えて鞄取ってくるから」

「え?」



腕時計を見ながら、先生が階段のほうへ足を向けた。

え、あの?

困惑する私を振り返って、にこりとする。



「何か食べて帰ろう」





一瞬のような永遠のような待ち時間の後、先生はスーツとコートといういつもの姿で戻ってきた。

デスクで誰かに捕まったそうで、遅くなってごめん、と申し訳なさそうにしているからには、私は待たされたらしいんだけど、まったく時間の感覚がない。



「何食べたい?」

「な、なんでも食べます」

「偉いね」


< 170 / 223 >

この作品をシェア

pagetop