性悪女子のツミとバツ

「田村が、外回りの途中で事故に遭った。」

第一声から、ひどく慌てた声だった。
営業部の彼の同僚が、私にすぐに病院へ向かうように言った。
教えられたのは、隣の市の総合病院の名前。
徒歩で移動中に車と接触して頭を打ち、意識がなかったため救急搬送されたらしい。

「同行してた佐藤課長が付き添ってるけど、安井さんもすぐに行ってやって。」

私たちが円満に別れたという噂をそれとなく流してみたものの、まだ営業部までは広まっていなかったらしい。

「えっと、私は…」

本来は、このタイミングで「別れたから、もう関係ない」と冷たく言い放てばいいのかもしれない。
噂はたちまち広がり、私は性悪女の称号を取り戻すはず。

彼のこれからの幸せのために、そうしなくてはならなかったのに。
その時の私は、受話器を持ったまま、ただ呆然と前を見つめることしかできなかった。

きっと大丈夫だと繰り返し自分に言い聞かせる。
いつだってすました顔で、さらりとピンチを切り抜けてみせる彼のことだ。
今頃、目覚めてベッドの上で笑っているに違いない。

「佐藤さんは心配するなって言ってたけど、もしかしたらってこともあるから…とにかく、すぐに行った方がいい。」

“もしかしたら”に続く言葉を思わず想像した。

あの自信たっぷりに笑う顔も。
人のことをからかって弄ぶ唇も。
私を眠りに誘う温かな腕も。
私の髪を優しく梳く指も。
とっくに手放したはずなのに。
もうすでに、それはほかの誰かのものかもしれないのに。

永遠に失うことを想像すると。
急に目の前が真っ暗になった。
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