うそつきハムスターの恋人
「あー、この書類、営業に届いてたんか。いやぁ、酒に酔うてなくしたかと思ってたんや」

「紛れ込んでいたのに気が付かなくて……お届けするのが遅くなって申し訳ありません」

「うん、だんないだんない。あってよかった」

奥田部長は「おつかいご苦労さん」と続けて、私の手にキャンディをひとつ載せてくれた。

一気に拍子抜けして店舗開発部を出ると、さっきの男性が右肘をさすりながら憮然とした表情で立っていた。
メイズの社員証を首から提げていることから、ここの社員であることはわかったけど、どの部署の社員かまではわからない。

「俺、肘めちゃくちゃ痛いんだけど」

「あっ! すみません。病院行きますか?」

「当ったり前だろ」

私はかすり傷ひとつしなかった。
転げ落ちる衝撃がおさまり、恐る恐る目を開けたら、すぐ目の前にグレーのネクタイがあって、知らない男の人にぎゅうっと抱き締められていることに気がついた時には、本当に驚いたのだけど。

「いてぇ」と言いながら起き上がったその男性も、一見したところ大丈夫そうだったから、私は先に書類を届けることにしたのだった。

いてて、と呟きながら歩く男性の後ろ姿を見ていると、本当は割とひどい怪我をしていたのかもしれないと不安になる。

「えっと……大丈夫、ですか?」

「大丈夫じゃない」

どうしよう……。

『人様に迷惑はかけない』

そう思って二十三年間生きてきたのに。

エレベーターホールに着くと、男性が振り返った。

くっきりとした二重瞼の瞳を不機嫌そうにほんの少し細めて私を見る。

目と眉の間が狭くて目力(めぢから)があるから、睨まれるとちょっと怖い。
だけど、目の下のぷっくりとした涙袋がやけにセクシーな人だと思った。
鼻筋の通った、ひかえめだけどきれいな形の鼻と、薄い唇。
ビジネスマンにしては長目の髪で、目の上ぎりぎりの黒髪をななめに流している。

この整った顔、どこかで見たことがあるような気がする。
フロアが違うとはいえ、同じ会社だから当然と言えば当然なのだけど。
会社以外の場所でどこかで……。

「お前も念のため、診てもらった方がいい。俺、運営本部に寄ってから下に降りるから。メイズの前で待ち合わせな」

どこで会ったんだっけと考えながら、エレベーターに乗り込んだ男性の後に続くと、その人が思い出したように付け加えた。

「あ、俺FC(フランチャイズ)運営課の水嶋夏生(みずしまなつき)。そっちは?」

「広域営業ニ課の大澤しずくです」

男性はたいして興味がなさそうにふぅん、と
言いながら、左手で十一階のボタンを押した。
私も十階のボタンを押しながら、左脳をフル回転させてみたけれど、結局どこで会ったのか思い出せなかった。

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