先生、俺を見て(仮)
エレベーターに乗り込んだ颯はすぐさま八階のボタンを押す。
カチカチ、カチカチと動き出すまで何度も。
ガコンッと音を立てて動き出したことが分かると、颯は「はあ」と息を吐き壁に寄りかかった。
ただならないその様子に、蛍は何も言えずに立ちつくす。握られた腕の事も忘れて。
「助かった」
「え、」
突然そう言われて目を丸くする。
「あの女、しつこかったんだ。何度断ってもついてきて...挙句うちの場所まで調べやがって」
「なにそれ、ストーカー予備軍じゃない」
「そんなとこ。ホント迷惑」
「なるほどね、それで私を使って逃げたわけだ。だからって母親はなくない?せめて姉くらいにさ」
「...老け顔の先生には母親ぐらいがちょうどいいんだよ」
「はああ!!?ちょっとそれどういう事よ!!」
失礼な生意気男子につかみかかる直前、エレベーターのドアが開き、颯はするりと抜け出す。
颯の手は、いつの間に離れていた。
「そう言えば先生、料理するんだ」
「は?」
部屋の前に立ち、鍵を探しながら颯が言った。
先程の女子生徒の話はここで打ちきりらしい。
それにしても、今日はやけに話しかけてくる
普段は敬語なのに、ため口になってるし
(塾じゃないから箍が外れたのかな...むしろいい傾向かも)
と内心喜びながら、蛍は小さく笑った。
「うん、まあそれなりにね。料理昔から好きだったし」
「ふーん、意外だね」
「意外て、一人暮らしだもん。颯君も少しは作るでしょ」
「...いや。作んないよ」
少しだけ声が沈んだことに気付く。
チラリと横顔を窺うとなんだか悲しい顔をしている、そんな気がした。
「じゃ、さよなら。今日はどうも」
そうそっけなく言うと、颯はそそくさと部屋の中へと消えていく。
ばたんと閉じる重い扉を見つめ、蛍は思った。
(ホントに隣に住んでるんだ...)
塾では何度もあっていたが、マンションで会ったのはこれが二度目。
今更ながらに隣人である自覚が出てきた。
部屋の中に入りながら、手元の食材の入ったビニール袋に視線が向く。
『...いや、作んないよ』
と柄にもなくさみしげだった颯の事を思い出し、蛍は
「...しょうがないなあ、やってやるか!!」と動き出した。