才川夫妻の恋愛事情



そっと指先を剥がして、何食わぬ顔で部長のデスクにコーヒーを運ぶ。



「部長、コーヒー入りました。どうぞ」

「あぁ、ありがとう花村」



こんな時でも愛想よく笑えている自信がある。慣れって怖い。ずっと〝夫婦じゃないけど特別な二人〟を演じてきた。入社三年目で彼の隣の席になったときから比べれば、私はとっても芸達者になったと思う。



だけどそれだけじゃない。結婚七年目にして、私はとっても自惚れ屋になっていた。

引き出しから離婚届を見つけたとき、悲しいよりも苦しいよりもただ意味がわからなくて。しっくりこなくて。才川くんが私と離婚したいなんて、それだけははなからあり得ないと思うほどには自惚れていた。








空のお盆を脇に抱えてもう一度才川くんの後ろを通る。そのとき彼はまた何も言わずに紙を一枚、ばっと後ろに手渡してきた。


離婚届だ。


ちらりと才川くんの顔を見る。いつも通り。切れ長の三白眼からはやっぱり何も読み取れない。





ただ、私がその紙を受け取った彼の右手は、

小指側の側面が赤いインクで少し汚れていた。




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