七色の空
チャプター65
「震えるハート」

林檎は「ただいま」も言わず、足早に寝室へ。朝食の支度をしていた林檎の母親は、廊下を歩く林檎の足音に気付いたようだ。味噌汁の入った鍋から湯気が立ち上る。
寝室の戸を開ける林檎。そこは、生前父親が使っていた寝室だ。林檎の両親は、夜一緒の部屋では眠っていなかった。父親のイビキがうるさかったからである。一緒に寝ない母親の代わりに、幼い頃は林檎が父親と一緒に眠ったこともある。父親は体温が高く、とりわけ寒い冬の夜には、よく父親の布団の中で眠ったものだった。
部屋の隅には丁寧に畳まれた布団が重ねてある。福生の姿は見当たらない。林檎は次々と別の部屋を見て回る。その様子は慌ただしく、やけになっているようにも見える。どこを探しても福生はいない。見かねた母親が林檎に近付き、
林檎の母「何を朝早くから騒々しい」
林檎「福生は!?福生がいない!福生がいないよ」
林檎の母「落ち着きなさい、全く」
林檎「福生が…」
母親の顔を見ると、林檎の瞳は潤み始める。林檎は母親の胸にすがりつき…
 泣いているのだろうか… どうして林檎は母親の胸で泣くのだろう?
林檎はどうしてハートが震えてしまうのだろう?
 娘のわがままは親孝行である。娘が何歳になろうが、母親にとっては子供のままで、いつまでも子供は心配をかけ続ける。この面倒な関係を、何よりも大事に生きて、死んでいくのが親である。
林檎の母「福生君はいま散歩にいってるよ。アンタから逃げる程、あの子は弱くない。心配いらないから…」
林檎「…」
林檎の母「迎えに行ったら、海辺まで。そこでアンタに会う心の準備をしてるから」
母親は、林檎の涙を手で拭う。
林檎の母「私に似て、男がほっとけない顔してる(笑)」
林檎は、母親に背中を押され、ウチを出る。
 家から海辺までは、歩けばホンの数分だ。
ヒロインをここまで連れてきた脇役の新也は、林檎が海辺に向かう姿を見送ると、その場をあとにした。
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