上司の笑顔を見る方法。
*
プレゼンの日から、私はそれまで以上に仕事に真剣に向き合うようになった。
とにかく汚名返上しなきゃ、という思いが強かった。
……何よりも、藤谷さんに「使えない人間」と思われたくなかった。
「櫻井」
「……」
「おい、櫻井」
「あっ、はい!」
時間も忘れてパソコンに夢中に向かっていた私は、呼び掛けにはっと顔を上げる。
すると、すぐ横に藤谷さんが立っていて、私を見下ろしてきていた。
その表情にはもちろん笑みは浮かんでいなくて、むしろ、少し不機嫌そうに感じる。
……ど、どうしたんだろう……。
私、もしかして、何かミスした?
私の不安をよそに、藤谷さんは予想外の言葉を掛けてきた。
「まだ帰らないのか」
「あっ、はい。もう少しだけやろうかと……」
その時、私はハッと気付く。
もしかしたら藤谷さんは、こんな時間まで仕事をしている私のことを気にして、帰らないでいてくれたのかもしれない。
「あの、すみません。私のことは気にせず、藤谷さんは先に帰ってください。お疲れ様でした」
藤谷さんに迷惑を掛けたくないと、早口で挨拶をして私はぺこっと頭を下げる。
顔を上げてパソコンに向き直ろうとした時、藤谷さんがはぁと小さく息をつき私の名前を呼んだ。
「櫻井」
「え? ……っ!?」
振り向いて影が落ちてきた次の瞬間、私の唇に柔らかいものが触れていた。
……藤谷さんの唇。
え、ま、待って……この状況は、何?
いつもよりもはっきりと感じる柔らかさと食まれる感触。
藤谷さんの唇の動きと熱に胸がキュンと甘く痺れた時、私の唇を軽く食み、藤谷さんの唇が離れていく。
呆然とその姿を見ていると、藤谷さんからふっと笑みが零れた。
「襲われないように気をつけて帰れよ。無理もするな。いいな?」
「……は、はい」
「お疲れ」
「……お疲れさま、でした」
穏やかな笑みを浮かべて、藤谷さんがバッグを手に取りオフィスを出て行く。
その姿が見えなくなった瞬間、かーっと頬が熱くなった。
熱を抑えるように頬を両手で包み込む。
「……お、襲ってるのは誰よ……っ! いや、いつもは私が襲ってるんだけど……!」
悶え転げそうになる気持ちを必死に抑える。
ここ数日、キスと藤谷さんの笑顔はオアズケ状態だった。
仕事で手一杯だし、藤谷さんに迷惑を掛けたのにキスを求めるなんて、絶対に呆れられると思ったから。
なのに、まさか藤谷さんからキスをしてくるなんて。
しかも、私からの一瞬触れるだけのキスとは違って、ぬくもりを感じさせてくれるキス。
あんなぬくもりを知ってしまえば、もっと触れたいと思ってしまうのは自然なことだと思う。
「もう、抑えられないよ……」
藤谷さんが好き。
これが、藤谷さんの唇に触れて笑顔を見るたびに、私の中に少しずつ膨らんでいっていた想い。
ずっと私の中にあった小さな期待が急激に膨らんでいく。
もしかしたら、藤谷さんも私と同じ気持ちを持ってくれているんじゃないかって。
ただの自惚れかもしれない。
でも藤谷さんがしてくれたキスと見せてくれた笑顔は、私にパワーを与えていく。
……はじめてキスした時に藤谷さんが零していた「ヤル気が出た」って、もしかしてこんな気持ちだったのかな……?
私のキスでそんな気持ちを持ってくれているとしたら、ただそれだけで嬉しい。
嬉しさで緩みそうになる気持ちと顔を引き締めるように、私は「よしっ」と気合いを入れる。
「とにかく今は、私にできることを頑張ろう」
気持ちを仕事モードに切り替え、私は再びパソコンに向かい始めた。