上司の笑顔を見る方法。
 


プレゼンの日から、私はそれまで以上に仕事に真剣に向き合うようになった。

とにかく汚名返上しなきゃ、という思いが強かった。

……何よりも、藤谷さんに「使えない人間」と思われたくなかった。


「櫻井」

「……」

「おい、櫻井」

「あっ、はい!」


時間も忘れてパソコンに夢中に向かっていた私は、呼び掛けにはっと顔を上げる。

すると、すぐ横に藤谷さんが立っていて、私を見下ろしてきていた。

その表情にはもちろん笑みは浮かんでいなくて、むしろ、少し不機嫌そうに感じる。

……ど、どうしたんだろう……。

私、もしかして、何かミスした?

私の不安をよそに、藤谷さんは予想外の言葉を掛けてきた。


「まだ帰らないのか」

「あっ、はい。もう少しだけやろうかと……」


その時、私はハッと気付く。

もしかしたら藤谷さんは、こんな時間まで仕事をしている私のことを気にして、帰らないでいてくれたのかもしれない。


「あの、すみません。私のことは気にせず、藤谷さんは先に帰ってください。お疲れ様でした」


藤谷さんに迷惑を掛けたくないと、早口で挨拶をして私はぺこっと頭を下げる。

顔を上げてパソコンに向き直ろうとした時、藤谷さんがはぁと小さく息をつき私の名前を呼んだ。


「櫻井」

「え? ……っ!?」


振り向いて影が落ちてきた次の瞬間、私の唇に柔らかいものが触れていた。

……藤谷さんの唇。

え、ま、待って……この状況は、何?

いつもよりもはっきりと感じる柔らかさと食まれる感触。

藤谷さんの唇の動きと熱に胸がキュンと甘く痺れた時、私の唇を軽く食み、藤谷さんの唇が離れていく。

呆然とその姿を見ていると、藤谷さんからふっと笑みが零れた。


「襲われないように気をつけて帰れよ。無理もするな。いいな?」

「……は、はい」

「お疲れ」

「……お疲れさま、でした」


穏やかな笑みを浮かべて、藤谷さんがバッグを手に取りオフィスを出て行く。

その姿が見えなくなった瞬間、かーっと頬が熱くなった。

熱を抑えるように頬を両手で包み込む。


「……お、襲ってるのは誰よ……っ! いや、いつもは私が襲ってるんだけど……!」


悶え転げそうになる気持ちを必死に抑える。

ここ数日、キスと藤谷さんの笑顔はオアズケ状態だった。

仕事で手一杯だし、藤谷さんに迷惑を掛けたのにキスを求めるなんて、絶対に呆れられると思ったから。

なのに、まさか藤谷さんからキスをしてくるなんて。

しかも、私からの一瞬触れるだけのキスとは違って、ぬくもりを感じさせてくれるキス。

あんなぬくもりを知ってしまえば、もっと触れたいと思ってしまうのは自然なことだと思う。


「もう、抑えられないよ……」


藤谷さんが好き。 

これが、藤谷さんの唇に触れて笑顔を見るたびに、私の中に少しずつ膨らんでいっていた想い。

ずっと私の中にあった小さな期待が急激に膨らんでいく。

もしかしたら、藤谷さんも私と同じ気持ちを持ってくれているんじゃないかって。

ただの自惚れかもしれない。

でも藤谷さんがしてくれたキスと見せてくれた笑顔は、私にパワーを与えていく。

……はじめてキスした時に藤谷さんが零していた「ヤル気が出た」って、もしかしてこんな気持ちだったのかな……?

私のキスでそんな気持ちを持ってくれているとしたら、ただそれだけで嬉しい。

嬉しさで緩みそうになる気持ちと顔を引き締めるように、私は「よしっ」と気合いを入れる。


「とにかく今は、私にできることを頑張ろう」


気持ちを仕事モードに切り替え、私は再びパソコンに向かい始めた。
 
< 5 / 9 >

この作品をシェア

pagetop