金曜日の恋奏曲(ラプソディ)
私はさっき受け取った新しい本の代わりに、借りていた本をカウンターに置き、第2学習室の利用表のところに向かった。
ちゃんと、新しい欄に名前が書いてあるのは遠目でもすぐに確認出来て
...今日も、須藤くんは来てる。
たったそれだけの事実に、安心して、息が漏れる。
利用表にはいつもの字。
でも、近づいてよく見ると、今日は"須藤悠太"の"太"の字の右ばらいが、すっと伸びて次の欄にまで侵入してた。
そう、私が書く欄にまで。
...それだけできゅんとしてしまったなんて、そろそろ末期かもしれない。
私は、いつもより少し緊張して名前を書く。
"太"の右ばらいと私の"琴"の横棒が、あと少しで触れそうな距離にいる。
でもギリギリ、届きそうで届いていない。
それはまるでちょうど、私達の距離のようで...。
...って、自分、なんかクサイな...。
と思うのに、恋する乙女思考はとどまるところを知らない。
体の内側から、何かが、湧き上がってくる。
お腹の中で膨らんで、肺を押しているように息苦しくて、でも、嫌じゃない...。
それは、漏れた吐息さえ震えるような、甘いドキドキ。
私は、口をぎゅっと結んでペンを置いた。
そして、第2学習室へ歩みを進め始める。
窓から差し込む煌めくような西日を、それに縁取られた古本棚を、目で見て
いつかみたいに、各所から聞こえてくる青春の音色に耳を澄ませて
この空間にぎゅっと詰め込まれた、あの、図書室特有の、沢山の本の匂いを鼻で感じて
止まらず、震えて汗ばむ手を、握りしめる。
...この時が1番、私の感覚機能がフルに働いて、ひとつひとつの繊細な存在感を心で感じられてる気がするんだ...。
全部、須藤くんを好きになってから。
こんなにも、世界がパッと色付いたように鮮やかに、感じるなんて。
...自分でも驚きだよね、って、そう思った頃にはもう学習室の前のドアに着いていて、私はドアノブを、滑る手で握りしめた。
下に重心をかけて前に押し出すと、微かに、高く軋んだ音が鳴った。
細く空いたドアの隙間に、足から入る。
入って1メートル先くらいのフローリングの切れ目を見て、そこからゆっくりと目線を上げていくと…。
...須藤くんが気付いて、少し目にかかった前髪の奥から私を見上げた。
そして、私だと分かった瞬間、ふわっと、微笑みをたたえた優しい目になって。
喉が、変な音を立てた。
いつものごとく、目線がそこから離れなくなって、一瞬、機能停止状態にまでなる。
私は、一度瞬きをしてその束縛から解け、席に座りに行く。
心臓はあっという間にバックンバックンだ。
...どうしよう
...どうしようどうしよう
…ここに来るまで、世界はこんなにも輝いてるんだって思ったのに
そんなのとは比べ物にならないほど、須藤くんが圧倒的に眩しく見えるなんて...。
まとっている空気感が、やっぱり、全然違うんだ。
それが何かはハッキリと分からないのだけど、きっと、良い意味で。
ハッと引き付けられて、目線が奪われて、そしたらもう、簡単には話せなくなってしまうような、何か。
他の人とは絶対的に違う何かを、須藤くんは持ってるような気がする...。
私は数学のプリントを引っ張り出した。
頬が紅潮しているのが分かる。
須藤くんに顔が見られないようにいつもの通り髪でブロックして、シャーペンを2回、ノックした。