専務と心中!
「ねえ。お姉さん、水島くんのオトモダチだよね?しょーりのファンじゃないよね?……それ、譲ってくんない?」

ドキッとした。

しょーりとは、泉さんの愛称だ。
泉勝利。
まさとしさんを有職(ゆうそく)読みで、競輪ファンはしょーりとよく呼んでいるようだ。

振り返ると、競輪場で何度か見覚えのあるおじさんがいた。
スマートな昔のイケメン。
インテリ革命闘士のなれのはて、みたいな風貌だ。

確か、薫に聞いたことがある。
泉さんの大ファンで、全国の競走を追っかけてるとかなんとか。

「……どうぞ。」
別にいらないので、私はあっさりと彼にあげた。

彼は、にこーっと好いたらしい笑顔になった。
「ありがとう。……あ、クオカついてる。これは、いる?」

丸めたタオルだけじゃなく、クオカードも入っていたらしい。

「いいです。差し上げます。どうぞ。じゃ。」
そう言って、踵を返した。

ら、別の男性の柔らかい声が追いかけてきた。
「こら。中沢。ダメだよ。……すいません。せめて、クオカの代金だけでも払わせてくれませんか?」

……何となく聞き覚えのあるような気がして……思わず、中沢と呼ばれた彼の背後にいる男性を、ひょこりと覗き見た。

あ!
知ってる!
てか、よく知ってる!
人の良さそうな、ぼんぼん顔。

我が社の専務じゃないか!

言葉が出ない……。

今日、会社をサボって競輪場に来てること、バレたらさすがにまずいよね。
いや、でも、専務だって、それは同じか。

……てか、専務が私みたいな一般職の平社員を覚えてるわけない。
大丈夫……よね。

ドキドキしつつも、希望的観測で何とか踏ん張った。
でも、専務は私と目が合うと、ニコーッと、いつもの好いたらしい笑顔を見せた。

え!?
ヤバい!?

「なになに?ぐっちー、知り合い?」
中沢さんが、専務にそう尋ねた。

ぐっちーって愛称なんだ……東口って名字は確かに呼びづらいけど……ぐっちー……。

専務は私にウインクして見せた。

ウインク!?

そんなことするのか!このひとは!

あんぐりしてる私に、専務は言った。
「俺のワガママで迷惑かけてるんだよ。ごめんね。布居さん。」

……。

びっくりした。

名前どころか、私の存在自体をご存じとは思わなかった。

なのに、ワガママ?迷惑?
何のこと?

返答に窮して突っ立っている私に痺れを切らしたらしく、中沢さんが言った。
「僕、次のレース買ってくるからさ、スタンドで話しててよ。」

スタンド!?

特観席の自分の席に帰りたいんだけど……専務を放置してこのまま帰れないか……。
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