◇君に奇跡を世界に雨を◇
もしかして、ユウはこうやって私が練習しているのをいつも見ていたのかな。
『ぼくは走れないから』
そう言って笑ったユウを思い出して、少しだけ胸が痛くなった。
眼下で練習する陸上部のみんなをぼんやりと眺めながら、ガラス窓に額をつける。
インハイの地区予選に出場するメンバーが、トラックの上でスタートダッシュの練習をはじめた。
ただ走るだけなのに、なんて真剣に練習してるんだろう。
ただ前に進むというシンプルな動作なのに、なんて、綺麗なんだろう。
みんなが練習する姿を見ながら、自分も一緒に走っているような気分になった。
スタートラインに身を低く低く屈め、溢れそうになる闘志を体の中に閉じ込めてゆっくりと息をする。
スタートの直前、一瞬だけ世界が真っ白になる感覚。
自分の息遣いと鼓動がやけに大きく聞こえて、生きていることを実感する。
体を巡る血液の流れまで、手に取るように分かる気がする。
そして、スタートの合図と共に小さく押し込めていたものを一気に解放し
走り出し、風になる。
『いいタイムを出すために走ってたの? 大会で優勝するために走ってたの?』
『ぼくにはそう見えなかったよ。ぼくには、ただ、走るのが好きだから走っているように見えた』
……そうかもしれない。
走りだしたきっかけは、ただ走るのが好きだったから
それだけだったはずなんだ。
いつの間にかそんなこと、すっかり忘れてた。
見下ろしたグラウンドでは、陸上部のみんながまるで風になったように気持ちよさそうに走っていた。
私も、あんな風に気持ちよさそうに走ってたのかな。
ふわりと、心が軽くなった気がした。