恋は天使の寝息のあとに
「帰るわ」

恭弥がぽつりと呟いて、立ち上がった。
こちらに顔を見せないまま、静かに自分の荷物を拾い上げて、ゆらりとリビングを出る。

「恭弥?」

心菜を抱いたまま私が追いかけるも、恭弥は振り返ることなく、玄関でのろのろと靴を履く。

「ねぇ、恭弥!」

もう一度大声で呼び止めると、恭弥の体がぴくりと反応して、動きを止めた。
ほんの少しだけ、こちらに首を回して振り返る。
かろうじて見えた彼の横顔。その瞳が――


「恭弥!」

もう一度叫んで、近寄ろうとするも、もう待ってはもらえなかった。
恭弥が玄関を出て、その姿が遠ざかる前に、風を受けた扉が勢いよく閉まり視界を塞ぐ。

そのまま、私と心菜のふたりが残されて、泣き声だけ周囲の壁に反響してぐわんぐわんと響いた。


――恭弥……


最後に見た瞳はひどく悲しげで
ほんの少し充血して、潤んでいたように思う。
恭弥のあんな表情、今まで見たことがなくて。

なんだか私は、取り返しのつかないことをしてしまったような気がした。
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