キミが欲しい、とキスが言う


 家に帰り、浅黄の寝息に癒されて、また朝を迎える。
子供が学校に行くようになると、一日はシナリオのある舞台のように一定の流れにのって動いていく。
私はその流れを壊さないよう努めるだけだ。

 いつものように朝食を食べ終えたころに幸太くんがやってきて、玄関チャイムを何度も鳴らす。
遠慮のない彼の動作が、私は結構好きだ。感情が素直に表現されるから、安心してみていられる。


「おはよ、幸太くん」


 半袖のシャツの下から伸びた手の先には鍵盤ハーモニカが握られていた。


「今日、音楽あるの?」

「うん。二時間目」

「浅黄、鍵盤ハーモニカ、持った?」

「持った。そういえばそろそろノートがなくなりそう」

「わかった。買っておくから」


 しっかり者の幸太くんのおかげで、浅黄は忘れ物が少ない。私が忘れっぽいだけに彼の存在にはすごく助けられている。


「行ってらっしゃい、気を付けるのよ」


 昨日は暑くてTシャツに短パン姿で寝た。素足を出しているのは年齢的には恥ずかしいけれど、ちょっとの間なら誰も通らないだろうと、廊下の欄干によりかかり、歩いていく二人を見送る。


 と、そのとき、隣の部屋のドアが開く音がした。

え? なんで?
この間越していったばかりのはずなのに、いつの間にか新しい人が入ったの?


 振り向いて、さらに驚く。そこにいたのは、Tシャツにジャージのズボンをはいた、ガテン系の男の人。
細い目をさらに細くしてふんわりと笑う。


「……やっと顔が見れた」

「ば……馬場くん? な、なんで?」


嬉しそうに相好を崩す彼とは反対に私はパニックだ。
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