恋のお試し期間



何で彼女はあんな曖昧な返事をしたのだろう。

矢田さんを知っているのに知らないふりをしているのか?

それは何か深い意味があるのだろうか。

「里真?」
「ごめんなさい、今日はもう帰ります」
「まだ残ってるよコーヒー」

心配そうな顔をしてこちらを見つめている佐伯。
今日は定時で帰ってしっかりと彼のお店でまったりしようと思っていたのに。
三波の態度が気になって結局長居は出来なかった。

もう帰るの?という佐伯の言葉にも曖昧な返事をして店を出る。

また心配をかけた。

けど、なんだろうすっきりしないのは。



「こんな遅くにお邪魔して申し訳ありません」
「いいのよ。でも少し見ないうちに綺麗になって里真ちゃん」
「そんな」
「さ、どうぞ上がって」

そこは昔公園に集まって遊んでいた子どもたちの憩いの場だった。
子ども好きなおじさんおばさんが昔の玩具を貸してくれたりお茶を出してくれたり
花火をしたり。近所の子どもたちが高校に入るくらいまでお世話になっていた。

大人になってからは挨拶をする程度になってしまったけれど。

今はおじさんが亡くなっておばさんだけが1人飼い猫とくらす静かな家。

「あの。この辺に矢田さんって家ありましたよね」
「矢田さん。さあ。あったかしらねえ?」
「え。無かったんですか?」
「全部を知り尽くしてるわけじゃないけどね。私が知る限り、無かったと思うけど」
「じゃあ、矢田さんってこの辺の人じゃないのかな」

だとしたらなお更三波の態度が気になる。

「この辺の子どもたちは皆公園に集まってきてたから誰が何処の子かは知ってるの。
でもね、たまにしか来なくて知らない子が1人居たわね。その子がそうかしら」
「どんな子ですか?」
「そうね、おぼろげだったけど。女の子かと思うくらい儚げで静かな男の子」
「あ。違いますね。違います」

あんな体育会系まるだしの人とは真逆。別人だ。
里真はやっぱり勘違いだったのかとため息をしてお茶を飲む。

三波も知っているようだからおばさんに聞けば分かるかと思ったのに。

分かった所で何をどうする事もないのに。

もう詮索はしないつもりだった。けど。

「里真ちゃんが泣くと何時もすぐに慶吾君が来て慰めてたっけ」
「そうですね。何時も頭撫でられてた気がします」
「慶吾君は面倒見がいいお兄ちゃんだったから。ふふ、里真ちゃんの初恋でしょ」
「え。……ま、まあ。はい。ははは」
「違った?大抵の女の子は慶吾兄ちゃんと結婚するんだって言ってたわね」
「あはは」

里真の周りでもそう言って他の女の子同士で喧嘩しているのを見た。
自分も好きだったし憧れたけれどそこまでの気持ちには何故かならず
太っていていじめられていて諦めていた所為もあるかもしれない。

自分には手の届かない、高すぎる花。

結局初恋は遅くて高校のあのダイエットを覚悟させた時だ。

「じゃあ、その矢田君が初恋の人なの?それで彼の事を聞きに」
「まさか。全然関係ないです。ただ、その、今の彼に関係することでその」
「あら。彼氏居るの。結婚も間近かしらねえ。ふふ」
「あっ…あはははは」

夜に長居はよくないとまだ話をしたそうなおばさんだったけれど
いいところで切り上げて家を出る。

すっきりしたようなしないような。

結局彼は近所さんじゃなかったということか。引っ越してきたのか。
そういえばその辺をちゃんと聞いてなかった。
三波の態度が気になるけれど。それはもう不問のほうがいいのか。

何も分かってない。

でも、昔の話を聞いて少しほっこり。


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