平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
ほらほら、とぐいぐい追い出そうとするわたしに、腑に落ちないといった体で首を巡らす脩人くんの足が出口に向かってズルズルと動く。

「ちょっと待って」

一種異様な緊迫感を、のんびりとした声が霧散させた。

「礼子の後輩なんだって? よかったら昼飯を食べていかないかい?」
「あ……お、お兄さんっ?」

晃さんがわたしに合わせてお芝居をしてくれる。でもいつボロが出るかわからないのに、そんな気遣いはしないで欲しい!

「けど、ランチは終わっちゃったんでは?」
「一人前くらいならどうとでもできるよ。礼子がいつもお世話になっているんだから、ごちそうさせて」

美味しそうな匂いの満ちる店内でにっこりと笑みを添えられれば、腹ペコの脩人くんじゃなくてもこの誘いを断れないだろう。

だけどわたしは、違うところに胸がいっぱいになっていた。

――礼子、って。

兄妹設定だから当然なんだろうけど、いきなりの名前呼びは心臓に悪い。諦めが悪い自分を再確認させられる。

「どうぞ」と椅子を引いてさっさと厨房へ入ってしまう晃さんと、妊婦とは思えない軽いフットワークでお冷やとおしぼりを用意する希さんに、もうあとには退けなくなってしまう。
それならばこれ以上ボロを出さないようにと、わたしも厨房で後片付けを続けた。

晃さんは今日の賄いになるはずだったハンバーグ種を冷蔵庫から取りだした。そこへ水切りした木綿豆腐を投入してかさ増しすると、手早く形成する。
フライパンでふっくら焼き上げたら、甘辛い照り焼きソースをかけて温野菜を添えれば、本日の賄いランチの完成である。
まるで手品のように無駄のない一連の動きに魅入ってしまい、いつの間にか食器を洗う手が止まっていた。

「トレーの用意してくれる? 礼子」
「は、はいっ」」

いちいち反応して大きく鼓動を打つ胸に意識を戻され、慌ててトレーを準備する。

「俺たちもいっしょに食べていいかな?」
「もちろんです」

脩人くんが座るテーブルに、4人分の御膳を運んだ。
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