平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
「料理をね、教えてもらってるの。そのお礼にときどきお店を手伝っているだけ。ほら、それなら副業の内には入らないよね? ねっ?」
「そう思うなら、なんでこの前は嘘ついたんですか? 本当のことを言ってくれてもよかったのに」

脩人くんはなおも、わたしと自分の間に入り込んだお弁当箱を手で除けて、据わった目を逸らさない。

「やっぱりダメかな? 会社に言っちゃう? 今週末で辞めることになったんだけど……」

窺うようにおずおずと尋ねてみれば、脩人くんはほんの一瞬、驚いたように大きく目を瞠り、「そうですねぇ」とゆっくり口角を上げてみせた。

「口止め料として、今度、オレに弁当を作ってください」
「はぁ? そんなことでいいの?」

予想以上に簡単な取引内容に拍子抜けする。もっとえげつない無理難題をふっかけられるのかと身構えていた。
そりゃあ、晃さんほど完璧なものは無理だけど。年々女子力低下が激しかろうと、これでもいちおう大人女子の端くれです。それくらいならなんとかなる。

「じゃあ次の月曜日にでも」
「それじゃダメです」

わたしの提案を、脩人くんは間髪を入れずバッサリと切り捨てた。

「来週の土曜日にしてください。その日がいいです」
「土曜? でも会社は休みで……」

不審に思う私の顔の前に小指をピンと立てた彼の右手が突き出され、ますます意味がわからない。

「デート、しましょう。礼子さんが作った弁当を持って」
「は?」
「外で食べるとなると、そうだなぁ……動物園とかでいいですか?」

小学生の遠足かっ!? と突っ込みを入れたくなるのを堪え、努めて冷静を保つ。

「いまの季節わかってる? 六月の終わりなんて梅雨まっただ中で、どうせ雨天中止になるわよ。それに第一、デートって――」

雨粒が弾ける音のするルーフを指して立てた人差し指に、同じくらいの長さがある脩人くんの小指が絡んできた。

「安心してください。俺、究極の晴れ男なんです」

これならどんよりとした灰色の雨雲を吹き飛ばせるかもしれない、と勘違いさせるような爽やかな笑顔で一方的に指切りを完了させる。

「約束しましたらねっ! 詳しいことは前日にでも」

強引さに呆然とするわたしを残し、脩人くんは雨の降る車外へと飛び出して社屋の方へと駆けていく。

なんなの、あれ? 
力強く巻かれた指の感覚がまだ残る指を反対側の手のひらで包み込んだ。

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