平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
 ◇ ◇ ◇

水の流れていた音が止まる。最後の一枚を受け取って丁寧に布巾で水気を拭き取ると、食器棚の同じ皿の上に重ねた。

「これでお終いですね」
「ありがとう。ご苦労さま」

お腹が少し張っている気がするという希さんは早退してもらったから、日曜の夜の橘亭には晃さんとふたりきり。
タオルで手を拭き終わった晃さんが、ポケットから封筒を取りだした。

「これ、少ないんだけど」

そう言って差し出された封筒の中身は、たぶん現金だ。

「ダメですよ! 受け取れません」
「ホント、気持ちだけだから」
「いりません。会社、クビになっちゃう」
「平気だよ、黙っていればわからないって」
「無理。ダメ。イヤですっ!」

そんな押し問答を数回繰り返して、ようやく晃さんは渋々ながら封筒を引っ込めてくれた。

「こんなにお世話になったのに、なんにもお礼ができないなんて」

まだ諦め悪くブツブツと言っている。

「美味しいご飯をたくさん食べさせてもらったし、毎日お弁当まで作ってもらったんですから、それだけでもう十分です。こっちこそ、ありがとうございました」

「ごちそうさま」の感謝も兼ねて深々と頭を下げた。

「これは、洗ってから返しますね」

エプロンを外してクルクルと纏め胸に抱えれば、鼻の奥がツン、と痛くなる。思わずずずっと鼻をすすった。

「礼ちゃん?」

上げられなくなった顔を晃さんが覗きこむ。慌ててエプロンで顔を押さえて隠した。

「すみません。もう、晃さんの作った料理が食べられないのかなと思ったら、なんだが寂しくなっちゃったみたいです。でもおかしいですよね。お客さんとして来ればいいだけなんだから」

どんだけタダ飯が好きなんだ、と自虐ネタにしてごまかす声が、エプロンに吸収されてくぐもる。
< 37 / 80 >

この作品をシェア

pagetop