さよならは言わない
定時を既に1時間過ぎた状態でも私はパソコンの前から動かなかった。
元々、残業は契約に含まれていたのだから時間が足りなければ少しでも居残りをするのは当然だと思っていた。
尊との愛人契約の中の残業無しと言う項目は私の頭からは最初から無かったものとして扱っていた。
机の引き出しに入れていたバッグの中の携帯電話へ尊から数回にわたり電話が入っていたが、マナーモードにしていた私は着信があったこと自体知らずに仕事に集中していた。
「もう1時間も過ぎているのに、まさか、仕事をしているのか?! あんな体で何を考えているんだ?!」
何度電話をかけても私が電話に出ないことに尊はかなり怒っていた。
そして、自分のパソコンの電源を切ると直ぐに上着を来て専務室から出て行った。
「専務、この後に打ち合わせが1本ありますが」
「そんなもの明日にしろ。今日から1週間は時間になったら帰る。予定は全て調整してくれ」
「1週間ですか?」
「ああ、そうだ。それから週末はしばらく予定は入れるな。いいな」
尊は一方的に秘書に指示を出すと急いでその場を離れた。
役員専用エレベーターの前で待っていたが、なかなか開かない扉に苛ついた尊は隣にある階段を使って営業部のフロアまで駆け下りて行った。
そして、早足で営業部へと行くとまだ残業で残っている社員がチラホラと目に入った。
営業3課のデスクを見ると私がパソコン画面に夢中になっているのを見て尊はかなり表情を歪ませていた。
尊の姿を見て営業部の人達はてっきり一課の江島さんのところへ来たのかと思っていたが、尊は一課にいる江島さんには目もくれず三課の私のところへ直接やって来たことでかなり視線を浴びていた。