それは秘密です
いや、『見とれていた』といった表現の方が正しい佇まいだった。

そして『ふ、』と息を吐きながら90度体の向きを変えて歩き出そうとしたけれど、いつしか彼を凝視してしまっていた私と視線がかち合い、ギョッとしたように問いかけて来る。


「え。ど、どうかしたか?佐藤」
「え?あ…」


そこで私はようやく自分の失態に気が付いた。


「な、なんでもないっ」


慌てて視線を逸らしたから確認できなかったけれど、六島君はさぞかし困惑した表情になっていたことだろう。

ほどなくして彼は今度こそ歩き出し、私の傍らを通り過ぎた。


……何なの、これ。


キーボードを叩く指がわなわなと震える。


なんで自分の好きな人が、他の思い人にときめいて、この上なく切ない表情を浮かべている場面を見せつけられなくちゃいけないの?

こんなの酷すぎるよ。


自分でも驚愕だけれど。

今までの人生、どれだけしんどくて悲しくて辛い場面でも、決して人前で涙を流した事などなかったこの私が。

よりにもよって会社内で、初めて視界をぼやけさせ、溢れそうになったそれを慌てて右手の指先で拭ったのだった。

その後も、視線さえ交わらないように六島君を避けまくり、逃げまくりながら仕事をこなし。

定時の18時を迎えた所で速攻で退社した。

胸の奥底に、沸々と闘志を燃やしつつ。
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