ベタベタに甘やかされるから何事かと思ったら、罠でした。
「そんな急いでたなんてなんかワケあり? 追い出されたとか、家が燃えたーとか。……もしかしてストーカー?」

「違いますよ。……っていうか、管理人さん」

「春海さんって呼ばれたい」

「……春海さん。なんでここに?」



堂々と〝呼ばれたい〟と言うので否応なく〝春海さん〟呼びになった。マイペース男子強い。

先ほどお姫様抱っこで部屋の敷居を跨いだ彼は、あれから一度部屋を出ていった。かと思えば、ペットボトルのお茶とグラスを2つ持って戻ってきた。今は段ボール1箱をテーブルにして、2人でお茶を飲んでいる。



「引っ越してきたばっかりだし、一人は寂しいかなーと思って」

「大丈夫です」

「やっぱりそれ口癖だよね」

「……」

「かわいい。守ってあげたくなる」

「……」




本当に大丈夫なんですが……と言おうものなら、もっと甘い言葉に返り討ちにあいそうで、私は黙った。

まだカーテンも何もついていない窓から春の陽射しがゆらゆら入りこんで、グラスの中の氷をじんわりと溶かしていく。テーブルにしている段ボールに濡れ染みをつくっていく。



「……」



私が黙ると春海さんも黙って、麦茶に口をつけながらじっと顔を見てくる。

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